大転換―脱成長社会へ

本書は2008年に起こった「リーマンショック」を契機に急速に景気が後退したのを機に経済的な「大転換」が求められたことから出たのかもしれない。そう考えるとあれから6年以上経ち、経済的にもリーマンショック以前の好景気にあるのだが、もしかしたらまた本書のような「大転換」のきっかけになるような景気の変化が出てくるのかもしれない。

本書はリーマンショックをきっかけにした「大転換」に関することを提言しているが、その理由についても取り上げている。2008年のことなので、廃れている印象もあるのだが、それでも現在に通じているところもあるのかもしれない。

第1章「出口のない危機」
2008年のリーマンショックはアメリカのみならず世界中の経済に大きな打撃を与えた。日本でも長く続いた好景気が突然終わり、二番底も含めた不況に入っていった。その経済危機は出口が見えず、各国四苦八苦するような状況に陥ったのだが、世界的にもっとも有名な経済紙である「エコノミスト」では沈黙を貫いたという。

第2章「ミクロとマクロの合理性」
経済学には「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」という学問がある。
「ミクロ経済学」は、

家計・企業など個々の経済主体の行動およびそれらが相互に調節される市場機構の働きを分析する経済学。価格の作用を重視し,資源配分と所得分配を細かく分析する。微視的経済学」「大辞林 第三版」より)

とあり、
「マクロ経済学」は、

国民所得や国全体の投資・消費・輸出入といった集計概念を用いて,失業率・インフレなど経済全体に関わる問題を分析する経済学。市場機構の不備を経済政策によっていかに補うかが中心的課題となる。巨視的経済学」「大辞林 第三版」より)

とある。
本章ではそれぞれの合理性などについて取り上げている。

第3章「経済が「モデル」を失うとき」
今もそうなのだが、リーマンショック以前も「金融主導」と呼ばれた経済モデルによって世界的な経済は形成されていった。しかしリーマンショックを発端として金融主導を見直すというような本も出てきた。もっと言うと資本主義そのものを根本的から見直す、あるいはそれをやめるべきという本まで出てきたほどである。本章ではもしもその「経済モデル」が失ったとしたら今度はどのようなモデルが出来上がるのかについて考察を行っている。

第4章「グローバリズム」
今もなお叫ばれている「グローバリズム」であるが、そもそも「グローバリズム」はどこから生まれ、世界的な経済においてどのような役割を担っているのか、本章ではそのことについて取り上げている。

第5章「ニヒリズムに陥るアメリカ」
「ニヒリズム」とは、

「真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態をことごとく否定する思想的立場」「大辞林 第三版」より)

とある。リーマンショック以後のアメリカではそういうことが起こることを著者は予見しているのだが、その理由として政権交代というよりも、これまで醸成してきたアメリカ経済の歴史を理由に取り上げている。

第6章「構造改革とは何だったのか」
構造改革といえば日本でも小泉純一郎政権下にあった時代に何度も叫ばれていたことで、現在でも政府を中心に言われ続けてきており、あたかも「流行語」に近いような扱いで使われているのではないかと邪推してしまうのだが、本章ではその構造改革がいかにして使われ、どのような意味を持ったのか、そのことについて取り上げている。

第7章「誤解されたケインズ主義」
本章は経済学における学派の対立について考察を行ってきているのだが、その中でも主流の一つにある「ケインズ主義」について批判を行っている。ちなみに「ケインズ主義」が実行された有名な例でいえば1929年に起こった世界恐慌の対策にアメリカにて行われた「ニューディール政策」が有名なものとしてある。

第8章「「脱成長経済」への道」
今までの経済モデル、リーマンショックが与えた影響をもとに著者は本書のタイトルにある「脱成長」を基調とした経済をつくることについて提言を行っている。「脱成長」というと経済は現状維持、あるいは衰退していくべきという風にとらえがちであるが、実際には成長ではなく、経済や社会における「質」を高めていくということである。人間としての成長が終わったのだから、成熟するためにはクオリティオブライフを求めることと同じような概念を経済や社会に当てはめている。

「脱成長」の概念はまだ浸透していないものの、著者が提唱するようになってからそういうことを主張している人も出てきているのだが、そもそも経済は競争すべきかどうか、それともほかの道があるのかどうかすら私にもわからない。とはいえ、経済的な岐路に立たされた時、本書はその参考意見の一つとして取り上げたほうが良いのかもしれない。

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