花の男 シーボルト

日本における歴史の中で有名な外国人は少なくないが、江戸時代、それも開国前の中で最も有名な人物としてフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがいる。シーボルトと言えば医学・博物学者としても有名であり、日本においても様々な蘭学を伝え、さらに日本のことを海外に伝えた人物としても挙げられる。そのシーボルトが日本に伝えたものとして蘭学のみならず、「花」をはじめとした植物があるという。

第一部「特別な使命をおびた人物、シーボルト」
もっともなぜシーボルトは日本に渡ることとなったのか、それは一度滅亡したオランダの国家立て直しにより、文化を取り入れる、そしてその見返りとしてオランダの医学(蘭学)を日本に振興することを目的として、シーボルトが選ばれ渡ることとなった。しかしシーボルト本人はオランダ人ではなく、ドイツ人(もっと言うと生まれは神聖ローマ帝国だった)であったのだが、オランダとのかかわりも深かったという。

第二部「日本研究者としてのシーボルト」
様々な準備を経て、日本に渡ることになったのは1823年3月、そして到着したのは同年8月だった。そこから日本で蘭学を伝えるとともに、日本における文化を調査しながら様々な本を執筆・脱稿した。

第三部「シーボルトを魅了した日本の植物」
その間シーボルトは長崎の出島に植物園を作り、国外退去まで1400以上もの植物を栽培したという。なぜシーボルトは植物園を作るほど様々な植物を栽培したのか、そこには博物学者としての側面があった。もっとも日本での調査の際、独特な植物に魅入られたところもあったという。

第四部「知られざる園芸家としてのシーボルト」
1400以上もの植物があった中でかねてから日本に育てられていた植物も存在する。シーボルト事件(当時国外持ち出しが禁じられた日本の地図を海外に持ち出したが、返還を要求しても断り、シーボルト本人が国外追放処分となった事件)で帰国した際、日本の植物も持ち出され、オランダで育てることとなった。その姿はさながら「園芸家」としての側面もあったという。

第五部「シーボルトが導入した日本の植物」
逆にオランダから日本へと渡り、日本の植物となっていったものもあり、その多くはシーボルトによるものだった。これから梅雨の時期を迎えるときに見頃となる「アジサイ」もあれば、「ツバキ」「サザンカ」そして「ウメ」といった有名な植物もシーボルトによって導入された。

シーボルトが日本において貢献したものは非常に多い。蘭学ばかりがフォーカスされるが、実際は植物をはじめ多岐にわたる。また日本独特の文化を伝えた側面も強く、日本と海外の懸け橋になる「開国」をした部分もある。そのシーボルトのあまり知られていない一面がそこにある。