はなし家たちの戦争―禁演落語と国策落語

落語と戦争は切っても切れないものである。もっとも現在でも語り継がれている昭和の名人たちは様々な形で戦争体験をしてきた。ある名人は慰問のために海外に渡り、ある名人は招集を受け、兵隊として戦争に駆り出されるといったことがあった。また国策として「禁演落語」として封じられた噺もあり、なおかつ様々な変化があったという。逆に「国策落語」として演じることを奨励した噺もある。その禁演・国策それぞれの落語と噺家たちとの戦争について取り上げているのが本書である。

第一章「禁演落語とその時代背景」
「禁演落語」は昨今でも文庫などで世に出回っているのだが、その多くは艶笑噺や間男噺などいわゆる「バレ」と呼ばれる噺が禁止されるようなことがあった。その噺の数は53であるのだが、その53はなぜ禁演となったのか時代背景とともに取り上げている。

第二章「「国策落語」という落語があった」
禁演とは逆に国家掲揚として「国策落語」がある。主に当時の舞台にした戦争落語に近いものであり、なおかつ新作落語が多い。その落語は誰が演じられ、高座にかけられたのか、そのことを取り上げている。

第三章「金語楼の兵隊落語の変遷」
戦時中で大人気を得た噺家は何人かいる。そのうちの一人として柳家金語楼が挙げられる。主に「兵隊落語」で一世を風靡し、「わらわし隊」に帯同したときも大人気を博した。

第四章「『キング』など大衆娯楽雑誌に見る国策落語」
国策落語を取り上げた雑誌があるという。その名は「キング」という雑誌である。その雑誌はどのようにして作られ、どのようにして「国策落語」を広めていったのか、そのことを取り上げている。

第五章「禁演・国策落語の周辺」
禁演が出てきたことにより割を食らった噺家も少なくない。少ない演目で緻密な芸を築き上げ名人となった八代目桂文楽も、怪談・芝居噺の雄である八代目林家正蔵(林家彦六)もその一人である。また、その風潮について批判をする評論家もいた。三代目三遊亭圓馬の門人の演芸評論家・正岡容もその一人である。

第六章「続 禁演・国策落語の周辺」
しかし完全に演じられなかったわけでなく、様々なところでひそかに演じられたことがあった。二代目桂小文治や五代目笑福亭松鶴らが演じられたことを本章にて取り上げられている。

第七章「落語家の軍隊生活と慰問」
落語に限らず漫才などお笑いや演芸にしても、禁演として艶やかなものが禁じられ、国家掲揚の演目が中心に演じられるようになった。また冒頭や第三章でも取り上げた通り、戦中慰問として落語家・漫才師などの芸人たちが兵隊たちの慰問のために戦地を渡ったという話もある。

第八章「平和への願い」
戦争によって様々なものを失い、世相も荒んでいった。戦争が終わり、世相が荒み切った中で、その救いとなったのもまた「笑い」である。その時に彗星のごとく現れたのが三代目三遊亭歌笑である「歌笑純情詩集」などが多くの笑いを提供してきた。後に四代目柳亭痴楽や初代林家三平らがスターとなり、さらには名人たちが生まれ、今の落語界を作ったのは周知の事実である。

落語の世界にも戦争の苦難があった。その苦難の中で戦争ならではの苦悩もあった。その苦悩は今の落語界を語るに欠かせないものである。本書はそのことを語って理宇と言っても過言ではない。