シャネルN°5の謎―帝政ロシアの調香師

かつて女優マリリン・モンローがインタビューにて記者が「夜は何をつけて寝るのか?」と言う質問に「シャネルN°5を5滴」と答えたことが有名なものとなり、後にCMで起用されるほど、有名となった「シャネルN°5」。おそらく世界で最も有名な香水としてあげられるのだが、その歴史は約100年にも及ぶ。不朽の香水として有名な「シャネルN°5」はいかにしてつくられ、どのような歴史を辿っていったのか、それを紐解いているのが本書である。

<第一章>
元々ココ・シャネルは言うまでもなくカバンなどのデザイナーとして有名だったのだが、そのシャネルが初めて香水を世に送り出したのが「シャネルN°5」である。しかし世に送り出したのはシャネルであるだけで実際にその名香をつくったのはシャネルでなくロシア系フランス人の調香師エルネスト・ボーである。そのため本書のサブタイトルに「帝政ロシア」と冠している。

<第二章>
「シャネルN°5」が生まれる前からも香水はあった。最も「古代」と呼ばれる紀元前の頃から香水は存在しており、香りが魅力として引き立たせるような部分もあった。もっとも歴史上の人物でも香水をお気に入りにしていたことがあったという。もちろんそれが文学作品にも反映されている。

<第三章>
時代は近代になると産業が生まれ、それが発達するようになった。その発達するようになったものが広告・デザインを含めて、いかにして成長していったのか、帝政ロシアを中心に取り上げている。

<第四章>
19世紀から20世紀に入るところまではロシア帝国の産業の中に香水があった。その香水の産業が始まったのは1840年代のことであるのだが、輸出産業として様々な生産を増やしていった。

<第五章>
「シャネルN°5」をつくるまでの間、エルネスト・ポーはどのような人生を過ごし、そして調香師として志して言ったのか、そのことを取り上げている。

「シャネルN°5」は100年近くの歴史があるのだが、香水の歴史を広げてみると「シャネルN°5」の比ではないほどの長い歴史がある。そもそも名香と呼ばれた要因とは何か、そしてなぜ多くの人に愛されているのか、歴史が全てを語ってくれる。