こどもの「ちがい」に戸惑うとき

「みんなちがって、みんないい」

こういう言葉は小学生の時分でもよく聞いたことがあり、今もなおそう思っているのだが、だからといってその「ちがい」に戸惑い、悩むような子供も少なくない。もっというと、「ちがい」がいじめの対象になったり、コンプレックスとして足枷となったりするようなことがある。その戸惑いをいかに解消するのか、それは本書に詰まっている。

<ここで生まれて、ここで生きた>
生まれ育ちながら、先天性の障害があり、植物状態であったのだが、違いを受け入れながら生きてきた。しかしその命は長く続かず、19歳の生涯を閉じることとなった。その19年もの間の苦しみはどうなったのか、そして生きることの素晴らしさとは何かを綴っている。

<ぼくたちは「みんないっしょ」をめざした>
何らかのハンディを負いながらも必死に生き続けるからでこそ、価値を見出すことができる。ハンディを抱えていても教育を受ける、人間として成長する機会はあった。そもそも障害児教育はいつからつくられ、広がりを持っていったのか、そのことを論じている。

<「いいところ探し」はきりがない>
人との違いは悪いところもあれば良いところある。その中でも良いところは枚挙に暇がないほどであるのだが、その良いところを見出せる人はいるのだが、それを多く相手に話せる人は少ない。だからでこそ、良いところを見抜き、なおかつ言葉に出すような人が必要であるとも言える。

<「ちがい」をこどもの世界から見つめれば>
「ちがい」は誰にでもある。しかしその「ちがい」を子供の視点からはどのように見えるのか、そこには大人と違った世界があるのかも知れない。

「ちがい」は子供・大人にかかわらず存在するのだが、それを否定するような風潮や空気を持つようなことがザラにある。しかしその「ちがい」を受け入れ、なおかつ認めることこそ、戸惑いを乗り越え、子供・大人にかかわらず、様々な「関係」を見出すことがでいる。それは誰にでもできることである。その「一歩」を踏み出せる限りは。