トラクターの世界史 – 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち

トラクターと言えば、農業でよく使われるのだが、それ自体の歴史は思っている以上に深い。もといトラクターの歴史そのものが産業革命の産物以降に生まれ、歴史的な背景のなかで変化を求められてきた産物の一つとも言える。別名「鉄の馬」と呼ばれるトラクターはどのように生まれ、歴史の中で彩ってきたのかそのことを取り上げている。

第1章「誕生―革新主義時代のなかで」
元々産業革命の中で農業の道具も革新されてきた。当初は蒸気機関技術が隆盛し、その技術を使って車輪をもったトラクターが1859年に生まれた。しかし操縦者にとってもベルトに巻き込まれる事故が頻繁に起こるリスクがあり、決して安全なものではなかった。そのリスクを回避するために当時としては新しい「内燃機関(燃料をシリンダーで燃焼させ、その熱エネルギーで動かす技術。現在の航空機のエンジンにてよく使われる)」の技術を誕生させたトラクターも誕生した。

第2章「トラクター王国アメリカ―量産体制の確立」
しかし誕生当初のトラクターは量産することが非常に難しく、普及もなかなか進まなかった。そこで後のアメリカの大手自動車メーカーとなるフォードが1917年に「フォードソン・トラクターF型」を誕生し、量産体制を築くことに成功した。かくしてフォードはトラクターのシェアを77%獲得し、世界的なメーカーへの足がかりとした。
その技術革新の背景に古くからの手法を行ってきた農民たちは羨望と憎悪が入り交じっていた。もともとトラクターが生まれる前までには馬を使っての農耕を行っており、馬とともに共生してきた概念がなくなるからであった。

第3章「革命と戦争の牽引―ソ独英での展開」
トラクターの技術は農業のみならず軍事的にも使われた。後にキャタピラーや戦車にも使われる技術的な要素があったためである。それに着目したのがソ連であり、レーニンが構想を練って、スターリンが軍事的に転用し、実行するまでに至ったことである。それがナチス・ドイツにも伝播し、第二次世界大戦にも使われるようになった。

第4章「冷戦時代の飛躍と限界―各国の諸相」
しかしトラクターも広がりを見せると共に飽和化して行った。もちろんそれはアメリカに限らず、欧州や中国、さらには中東に至るまで世界的な展開を進めていったのだが、それにも限界が見えてきたことにある。

第5章「日本のトラクター―後進国から先進国へ」
日本のトラクターの歴史はイギリス・アメリカに比べて若干遅れたものであったのだが、導入されたと言っても1909年に日本で蒸気式トラクターが導入されたことから始まった。しかしながらトラクターが広がりを見せたのは戦後になってからのことであり、大東亜戦争までは「耕運機」と呼ばれる歩行型の田んぼなどを耕すための機械が長らく用いられ、浸透していたためである。それが戦後になり、農林省(現在の農林水産省)が主導して農業試験場にトラクターを導入したことから日本のメーカーでも開発されるようになり、席捲していった。

トラクターは農業などを行っている方々であれば身近なものであるのだが、それにあまり関わっていない方々だと存在は知れども実際に触れることはほとんどない。しかしトラクターにフォーカスを当てながら歴史を紐解いてみると技術革新や戦争があり、その進化の過程を見出すことができるようになる。