メディア不信――何が問われているのか

メディア不信は日本に限ったことではなく、先進国を中心にあるのだという。もっとも日本ではメディアにおいて誤報があったとしても簡単に謝罪しないし、事実と異なることを取り上げたとしても、開き直ることさえあるなど、既存メディアに対する不信感は強い。本書でも取り上げるのだが、それはドイツ・イギリス・アメリカにも同じようなことがあるのだという。そもそもメディア不信はいつからあったのか、各国の現状とは何か、そのことを中心に取り上げている。

第1章「「うそつきプレス!」―ドイツの右翼グループの台頭」
ドイツのメディアは欧州の中でも信頼度は高いのだが、ここ最近では「排外主義」と呼ばれる右翼市民運動がデモ行進を行っていく中で本章のタイトルのことを叫ぶようなことがあるという。その要因としてはドイツに限らず欧米各国でも取り上げられた移民や難民に関する出来事である。それに限らずともドイツそのものがメディアも含めて「右傾化」していることが挙げられるという。

第2章「大衆紙の虚報とBBCの公平性―英国のEU離脱決定」
おそらく2017年の欧州においてもっとも大きなニュースが「英国のEU離脱」であるだろう。そのことにより、欧州全体に激震が走った。もっとも英国自体の保守化が進んでいることがあるのだが、もっともその離脱に関する国民投票の期間ではキャンペーンを行ったり、フェイク・ニュースを出すなど、ある種投票行動に影響を与えるようなことも行ったほどである。

第3章「大統領が叫ぶ「フェイク・ニュース!」―分裂する米国社会」
アメリカにおけるメディア不信は日本のそれと通ずるものがあるのだが、もっともアメリカもまたイギリスと同じく、キャンペーンの要素により、あたかも本当のように虚構を取り上げるフェイク・ニュースはあった。もっともそれにスポットライトを宛てたのが2017年1月11日に行われた記者会見で大統領になる直前のドナルド・トランプがCNN記者に対して質問を遮り、

「おまえは、フェイク・ニュースだ」(p.99より)

と言い放ったことにある。もっともトランプは選挙前後から気に入らないメディアに対してTwitterや口頭にて攻撃していたことは周知の事実である。

第4章「静かな「メディア不信」―日本のメディア無関心」
日本もまた新聞やテレビなどのマス・メディアに溢れている国であるのだが、そのメディアでもアメリカ・イギリスほどではないのだが、暗にキャンペーンまがいのことを行うことがある。しかしながらメディア批判を既存メディア内にて表だって行うことは非常に少ない。もっとも「談合」の如く、金太郎飴のような報道を行うことさえある。それが静かな「メディア不信」として扱われる所以なのかもしれない。

第5章「ソーシャル・メディアの台頭―揺らぐ先進諸国の民主主義」
国内外問わず、最近ではインターネット、さらにはソーシャル・メディアが台頭したことにより、それが新たな「民主主義」を生み出している。既存メディアではそれに危機感を覚えるばかりでなく、攻撃をするようなメディアまで存在するほどである。そもそもソーシャル・メディアの隆盛によってメディアはどのように変わっていくのか、そのことを注視している。

本書を読んでいく中で日本も海外もメディア不信はあるのだが、その不信はどのような傾向にあるのか、さらに不信に対してどうあたっているのかは、国によって異なる。もっとも日本において既存メディアがメディア不信に対して何をするのか、それを取り上げられていないことは私自身、新聞やニュースはそれ程見なくても、たまに過去の新聞をいくつも見ていくとそう思ってしまうことがある。もっともメディアには自浄能力があるのかというと首を傾げてしまうのだが。ともあれ、メディアの在り方を再考するための参考材料となる一冊である。