二十一世紀の若者論―あいまいな不安を生きる

若者論は今も昔もあるのだが、悲しいことに古代から「俗流若者論」なるものがある。簡単に言うと「近頃の若者は…」というような話は古代(厳密にはソクラテスの時代)からずっと言ったり、言われたりし続けているような状況にある。

若者論というと水掛け論のような印象を持つのだが、実際には若者の文化と考え方には時代の変遷がある。その変遷を追っているのが「若者論」であり、本書はそのうち21世紀の若者はどのような変遷を辿ってきたのかを取り上げている。

第Ⅰ部「「失われた10年」か、「失われざる10年」か」
バブル崩壊となり、景気が低成長の時代に入ったことから、経済的には「失われた10年」と呼ばれるようなった。その時代の中で社会学者・宮台真司が社会的な側面からの「若者論」を次々と提唱してきた。その若者論を論考すると共に、90年代にマスコミで多く取り上げられた少年犯罪の傾向と「心の闇」を取り上げている。

第Ⅱ部「若者の生きづらさについて」
生きづらい時代になったと言われているのだが、その中でも「若者」の生きづらさ、さらには自立できないことについての世代間論争や「ニート」や「モラトリアム人間」、さらには「パラサイト・シングル」などの用語ができた経緯などについて考察を行っている。

第Ⅲ部「若者文化の絶望と希望」
「オタク」や「ヤンキー」といった若者文化の変遷を取り上げているのだが、そもそも「オタク」という言葉ができはじめたのは1983年にコラムニストの中森明夫が蔑称的な意味で「おたく(オタク)」が定義づけられたことがある。その頃から「オタク」にまつわる論争が社会学者や評論家のなかで盛んに行われるようになった。今でこそ肯定的に呼ばれることもあるのだが、当時は否定的な側面が数多かった。また「ヤンキー」もまた1980年代に日本では出てきているのだが、その盛衰について取り上げている。

若者文化は時代と共に変化してきており、そのことが「ジェネレーション・ギャップ」を形成づけられるのだが、もっとも若者論を論じるにも歴史・文化の変遷を分析することが必要になってくるのかもしれない。そのことを本書でもって知らされたといっても過言ではない。