ライシテから読む現代フランス――政治と宗教のいま

本書にて取り上げている「ライシテ」とは、

「フランスにおける教会と国家の分離における原則(政教分離原則)、すなわち、国家の宗教的中立性・無宗教性および(個人の)信教の自由の保障を表わす」Wikipediaより)

という。政教分離の思想はフランスを単に発し、様々な国にて取り上げており、日本でも例外なく採用されているが、国によっては条文として定められているだけで、宗教的な要素を政治的儀礼に反映しているところも少なくない。さて、本書である。本書は2015年に起こったテロ事件をもとにして、フランスのライシテはどのように取り上げられたのか、そして他の宗教との関係やつきあい方はどうなっていくのか、そのことを取り上げている。

第1章「ライシテとは厳格な政教分離のことなのか」
よく政治思想の中で右派(右翼)と左派(左翼)といったことがあげられる。その思想の中では宗教も絡んでくる。特に前者においては宗教と絡めた主張をする傾向のように見えるのだが、実をいうと右派もまた「ライシテ」を定めることがあるという。
そもそも「ライシテ」は厳格な「政教分離」をうたっているのかというと、必ずしもそうではなく、なおかつ政治の場以外の「公共」の場(たとえば警察など)にて使われることもある。

第2章「宗教的マイノリティは迫害の憂き目に遭うのか」
2015年の1月にフランスでは「シャルリ・エブド事件」が起こった。当時の日本では放送された印象が無かったのだが、この事件は宗教的マイノリティについて一石を投じた事件である。この事件が本章のタイトルを考えさせられることとなったのだが、そもそもなぜマイノリティは迫害されるのか、その要因を取り上げている。

第3章「ライシテとイスラームは相容れられないのか」
本書にて取り上げている題材の中で特に有名なものとしてISILがある中東を始め、ヨーロッパでも犯行を繰り返していったことにより、各国でイスラム教に対する嫌悪感を露わにする人々が出てきたほどである。そもそも憎むべきはISILであって、イスラム教徒は別にすべきはずであるのだが。
本書はあくまで「ライシテ」であり、宗教差別についてもマイノリティがあるのかというと、先述の通り、必ずしもマイノリティがあるわけではない。

難しいタイトルのように見えるのだが、「ライシテ」の概要的な意味が分かるとフランスにおける政治や国家と宗教であることがよくわかる。本書は政教分離の思想と現実が取り上げられているのだが、本書であることはフランスに限らずヨーロッパ各国、内容によっては日本でも起こっているのかもしれない。