クマ問題を考える 野生動物生息域拡大期のリテラシー

季節はまだ冬なのだが、春になると動物によっては冬眠から覚めて活動を始めるようになる。中にはエサを求めて人里に出没することがあり、ニュースになることさえもある。私の出身地である北海道では春になると多かれ少なかれヒグマが出没したことがニュースになることが頻度はあれど毎年のようにあった。

本書はその「クマ」の出没と狩猟についてを取り上げているのだが、その問題を通じて野生動物の生息とリテラシーも含まれている。

第1章「平成のシシ荒れ」
「シシ荒れ」とはいわゆる「獣害」の一つと呼ばれており、クマやイノシシが田畑を荒らして、被害を及ぼすことを指している。他にも街中に出没しては家屋、さらには人に対して被害を及ぼすこともまた「シシ荒れ」の一つとして挙げられる。平成においても、サルやイノシシ、さらにはクマなどの動物が人里で害を及ぼしている現状があるため、「シシ荒れ」は今も昔も存在すると言っても過言ではない。

第2章「生息域拡大期と現実」
本章ではクマの生息域拡大期について取り上げている。難しいように見えるのだが、冒頭でも書いたように特にクマの場合は冬眠があり、そこから覚めた後、エサを求めて人里に出没することがある。本章でも写真にて取り上げられているのだが、中には道路にまで出没し、混乱を引き起こすことさえもある。それは北海道に限らず、本州でもある。また春が中心になるのだが、食糧が不足すると夏や秋にも出没をする。

第3章「近世の相克「シシ荒れ」森の消長と野生動物」
動物も意図して「シシ荒れ」を起こしているわけではない。それは「生きる」ために行っていることであり、何よりも食糧を求めて人里に降りていることにある。そういったことは近代化している現代でもあるのだが、100年前も数・状況は違えど起こっているという。

第4章「狩猟の公共性」
最近ではあまり聞かなくなったのだが、狩猟によって被害を最小限に抑えることもある。その狩猟によってはジビエなどにより食糧として出すようなケースも聞く。その狩猟の公共性とはどこにあるのか、本章ではそのことについて論じている。

第5章「クマと向き合う」
もちろん人間と動物との共生は必要である。しかしながら共生の在り方は年々変わっていく。その変わっていく中で、捕獲・威嚇・狩猟といった動物に対する対処もまた変わってくる。

獣害は今も昔もあるのだが、その度に人と動物との関わりは思うところがある。それは「リテラシー」というよりも「共生」の在り方である。元々日本人は動物との共生を行ってきたのだが、それは寛容になってきたのか、というとむしろ逆である。そのようになった要因とこれからの共生について考えるきっかけとなる一冊が本書と言える。