東大寺のなりたち

奈良を代表するスポットとしてあるのが「東大寺」である。東大寺には俗に「奈良の大仏」といわれる「盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)」もあり、奈良を象徴する場所として有名である。その東大寺は仏教における華厳宗の大本山であることは有名で仏教政策を強く押し進めた第45代天皇である聖武天皇が建立した寺としても有名である。その東大寺が建立するまでのプロセスを追ったのが本書である。

第一章「東大寺前史を考える」
元々「東大寺」は最初からその名で名付けられていたわけではない。以前は「金鐘寺(きんしゅうじ)」や「天地院(法蓮寺)」といった寺々があり、それが総称されていつの頃からか「東大寺」と呼ばれるようになった。
もっとも金鐘寺が建立されたのは733年の頃であり、これが東大寺が建立された有力な説である。その金鐘寺をきっかけに様々な寺院が建てられ、そして「盧舎那大仏」も建立された。

第二章「責めは一人にあり―聖武天皇の政治観」
その盧舎那大仏を建立させた人物として聖武天皇がいる。そのきっかけとして河内国(現在の大阪府)にある知識寺へ行幸したときに盧舎那仏があったこと、そしてそれを刺される人々の感銘を受けたことにより建立することとなったという。ちなみに知識寺の盧舎那仏は衰退もあり、さらには災害(落雷)によって倒壊し、今となっては盧舎那仏があった「跡」しか残っていない。

第三章「宗教共同体として」
その東大寺のシンボルである盧舎那大仏を建立するために、聖武天皇は地方の高官や有力者から寄進を募るようになり、資金を得て、建立するようになった。仏教にも宗派があり、なおかつ地方の垣根や地方の中にも派閥と行ったものがあったのだが、その垣根を越えた一種の「共同体」にまでなっていった。

第四章「盧舎那大仏を世界に」
今となっては世界的に有名となった「盧舎那大仏」であるが、その世界的に認知されるまでにも聖武天皇ならではの狙いがあった。その狙いとは何なのかについて取り上げている。

第五章「政争のはざまで」
政争は今も昔もあるのだが、当時の政争は天皇を絡んでが中心であった。皇太子にするといった跡目争いについては高官の駆け引きが大きく影響すると行ったことがあった。東大寺もまたその政争の中心になることもあった。

第六章「新たな天皇大権の確立」
天皇と仏教の関わりは深く、その仏教界と政治は特に奈良時代においては切っても切れないものであった。天皇を巡っての政治的な争いはもちろんのこと、天皇が自ら仏教界へ積極的に介入するといったこともあったという。

奈良時代の象徴としてある東大寺。その東大寺は特に奈良時代の代表的な建造物であると同時に、奈良時代における政争や天皇といったことが絡むことが多く、当時の日本の中心地でもあった。東大寺の歴史はまさにそれを表していると言える。