江田島海軍兵学校 世界最高の教育機関

1876年から1945年前の69年間存在した兵学校がある。そこは広島湾に浮かぶ江田島あった「江田島海軍兵学校」である。その後自衛隊となった際にも「海上自衛隊第1術科学校」と「海上自衛隊幹部候補生学校」が置かれているだけあり、日本の海軍としての基礎が築かれる場所として近代から有名な場所であった。そもそも海軍兵学校にて行われてきた教育は何なのか、そしてなぜ「江田島」そのものが海軍学校としての「聖地」となり得たのか、そのことについて取り上げている。

第一章「海軍教育の真髄」
軍の教育であるため様々な規律があるのだが、その中でも海軍教育の根幹として「シーマンシップ」があった。そこから海軍としての在り方、さらには語学教育(大東亜戦争の時も後に海軍次官となる井上成美によって継続された)にも力を入れるなど多彩である。

第二章「日本海軍と兵学校の歩み」
海軍兵学校の始まりは江戸時代、それも幕末の時からである。その幕末の時代は海外の文化や脅威が入ってきたことにより江戸幕府によってつくられたのが始まりである。その時はかつては市場として栄えた築地にてつくられたのだが、冒頭で述べたように呉鎮守府にほど近い江田島に移転した。

第三章「士官である前に紳士たれ」
海上で戦う兵士を育成する学校であるだけに、海外の文化や考え方も取り入れることもある。その中でも兵士であることよりも「紳士(ジェントルマン)」であることを精神的な在り方の根幹として教育を行っていったという。

第四章「江田島の極意」
海軍としてのリーダー教育、さらには海軍としてのチームワーク、そして英語教育など、他の兵学校とは違った特色を出している。その特色こそ、江田島としての教育の極意に他ならなかった。

第五章「失敗から何を学ぶか」
様々な戦いを通して失敗や成功が存在する。その中でも「失敗」はどのような存在なのか、そしていかにして学んでいき、後の成功に役立てていくのかもまた江田島ならではの教育指針の一つである。

第六章「特別対談 半藤一利×徳川宗英 ――教育の根本は江田島にあり」
江田島には海軍としての教育だけでなく、日本の教育の根本があるのでは無いかと2人は述べている。対談を通じて、戦争のこと、江田島のこと、そして教育のことなど江田島を基軸にした過去・現在・未来とを展開している。

江田島は海軍としての聖地であるのだが、その理由には江田島ならではの教育があった。それは大東亜戦争が終焉し、間を置くものの海上自衛隊のエリートの養成機関の中で息づいている。「江田島」の息吹は今もなお存在するのだ。