オトナの私が慶應通信で学んでわかった、自分を尊ぶ生き方

本書で言うところの「慶應通信」とはいったい何かというと、「慶應義塾大学通信教育課程」と呼ばれるものであり、慶應義塾大学の系列にある「大学通信教育」のことであり、歴史は思っている以上に古く1950年につくられた。もっとも「大学通信教育」の歴史は1885年に東京法学校(現:法政大学)と英吉利法律学校(現:中央大学)があることを考えると大学とほぼ同じくらいの歴史があると言っても過言ではない。

最近では「大学全入時代」と言われている中で、大学の「通信教育課程」や、大学院大学といった学校に通うといった方々も出てきている。本書は学歴コンプレックスに苛まれる所から脱するために慶應通信で学んだ日々を綴っている。

第1章「学歴コンプレックス地獄から抜け出せない」
もともと著者は大卒であったのだが、その大学はほぼ無名に近い大学であり、高校までは青春を謳歌していた。しかしながら大学受験にはほとんど「失敗」という言葉に相応しいほどのものであり、第8希望と言えるほどの大学でようやく合格したという有様である。

第2章「そうだ、慶應行こう!」
そのコンプレックスから脱するために社会人でありながら「慶應通信」を受けることとなった。その理由も著者ならではであり、受験も行ったのだが、困難はあれど無事に合格を果たした。

第3章「慶應通信という「知の大海原」で」
慶應通信にて履修の日々がスタートした。しかしながらそこはまさに「知の大海原」であり、テキストも理解不能だったのだという。理解不能だった中で理解しながらもレポートを作成するといったことを行っていく必要があった。もちろん科目によっては「不合格」の通知が届き、単位が取れないと言った事もあったという。

第4章「慶應通信、なんとしても卒業してみせる!」
社会人であるが故のリスクか、時間がなかなか取れなかったところで他に取得に苦戦してしまった。その時間を上手く捻出するために、様々な勉強法を組み立てては試したほどである。その勉強法とは何かをいくつか列挙している。

第5章「最後の大きな山 卒業論文」
だが行くであるが故に、最後の試練として待ち構えていたのが「卒業論文」である。もちろん卒業論文の指導教員もいるのだが、作成にあたり、テーマを絞る、そしてテーマを元にした資料を集める、そして論文を書くといった手順があるのだが、それら全て指導を受けることが多々あり、時間がかなりかかる。また論文の他にも面接試験があり、それを合格しなければ卒業の要件に満たないのだという。著者は苦しみながらも卒業できた。

第6章「日本最強の同窓会組織「三田会」」
慶應通信を卒業すると、慶應義塾大学の同窓会組織であり、日本最強と謳われる「三田会」に入会することができる。その三田会でどのような体験をしてきたのか、そのことを取り上げている。

慶應義塾大学通信教育課程があることは薄々知っていたのだが、その体験記についてはあまり聞かないし、見たこともなかった。著者自身も社会人として活躍する一方でコンプレックスからの入学を行ったのだが、その体験が自分自身にとって大きな変化を起こしたという。その変化が本書にてよくわかる。

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