本当に日本人は流されやすいのか

日本は権威主義的であり、同調主義的であるというイメージが持たれる。しかしながら著者は本来は自律性も主体性もあったのではないかと考えているという。ではその流されやすい傾向をいかにして脱し、主体性を持てばよいのかを日本国家というマクロの単位で分析・提言をした一冊が本書である。

第一章「同調主義的で権威に弱い日本人?」
日本、もとい日本人は「同調主義的」であることはお笑い芸人や海外の風刺などでも取り上げられることが数多くある。また流行語の中にも「忖度」や「KY」など一例としたる。

第二章「日本文化における自律性ーーベネディクト『菊と刀』批判を手がかりに」
アメリカの文化人類学者であるルーズ・ベネディクトが1948年に「菊と刀」を上梓したのだが、その中で日本人としての道徳意識や文化などを批評している。中でも日本は「恥の文化」にて成り立つということは、日本の文化そのものを考察する上で大きな影響を与えた。その「菊と刀」の批評をもとにして、今の日本文化について考察を行っている。

第三章「改革がもたらす閉塞感ーーダブル・バインドに陥った日本社会」
しかし同調主義であるが故に、

「現代の日本人の多くは、日本文化は同調主義的で他律的であるとみなし、日本型の自立や成熟の理念やその獲得のメカニズムをよく理解していない点である。自立性という観点から、欧米文化のほうが優れており、日本文化は、遅れた、一段劣ったものだという具合に捉えてしまっているのだ」(p.93より)

とある。同調そのものが改革を阻害し、閉塞感を持たせてしまっている。その影響により日本人のやる気を失い、疲弊化、ひきこもり化してしまう要因になっていると分析している。

第四章「「日本的なもの」の抑圧ーー紡ぎだせないナショナル・アイデンティティ」
日本が近代化している中で日本としての「アイデンティティ」を失い、積む帰出すことができなくなっていると言う。その要因として社説はもちろんのこと、昨今の日本の怪談から論じているのだが、怪談から論じているのがかなり斬新さがあった。

第五章「真っ当な国づくり路線の再生」
国単位で日本はどのようなアイデンティティを持ち、国家と成すべきかを提言している。グローバルや創造性、資本主義のあり方に至るまで及んでいる。

もともと日本人は同調主義だったのか、また自律性はあったのかというと、私自身もわからない。個人単位では自分自身の意見を持ち積極的に主張するような人も少なくないのだが、国単位でその傾向にあるかどうか、また歴史を紐解いての傾向も歴史学的にどのように考察すべきか、といった疑念がわいてしまう一冊である。