「もしもあの時」の社会学

「歴史に「もしも」」は歴史学的にはタブーである。もっとも「歴史学」と言う学問は史料に基づいて歴史的にどのようなことが起こったのかなどを議論をする学問であり、事象の発生経緯や自物の生誕、さらには文明の根源などが題材となっている。

ちなみに本書はと言うと社会学的な考察であるため「もしも」がタブーになるわけではないという。歴史的な要素について「もしも~だったなら」を紐解いていくとある種の物語になってくる。その「もしも」を紐解いてみるのが本書である。

第一章「時間を遡って」
遡ってナポレオンが活躍した時代やドイツにおけるナチスが台頭した時代を見てみる。ナポレオンはロシアに、ドイツはイギリスとロシアに共に敗北した経緯があるのだが、もしも逆に勝利したのであればどのような歴史を辿っていくのか、本章ではモデルケースとして2つのことをシミュレーションするとともに、事実でない「歴史的な「もしも」」についての紐解き方を取り上げている。

第二章「1990年代日本の架空戦記ブーム」
実を言うと「歴史的な「もしも」」は戦記小説などで多く取り上げられている。大東亜戦争にしても「もし大東亜戦争でアメリカに勝利したら」を題材にしたマンガや小説などの創作が次々と出て、一種のブームとなった時代があったのだという。本章では一例として小松左京の「地には平和を」や、最近ドラマなどで取り上げられているよしながふみのマンガ「大奥」が挙げられている。

第三章「ファーガソンの「仮想歴史」」
実は歴史学者のなかで歴史学的なタブーを世に送り出した人がいる。それが本章で取り上げるイギリスの歴史学者ニーアル・ファーガソンである。1997年に「仮想歴史」を上梓しているのだが、そこには近世~近代の西欧の歴史に「もし」をつけ、どのような歴史になっていたかをシミュレーションしている一冊である。本章ではその「仮想歴史」に記載している内容をかいつまみながら説明している。

第四章「「歴史のなかの未来」学派」
歴史学には様々な「学派」があるのだが、本章では「歴史のなかの未来」と称して「もしも」を取り上げる学派があったら良いのではとしている。

歴史学的は「タブー」としている「もしも」は実際に行ってみると面白いものがある。もちろんその「もしも」をもとにした創作もあるのだが、釘を刺しておきたいのはあくまでシミュレーションとしての考察行うまでにとどめておきながら未来に向けての提言としての材料を捻出するまでにしてほしい。というのは「もしも」をあたかも事実のようにして吹聴して歪曲するようなどっかの国のようなことになってしまうと歴史的な考察自体ができなくなってしまう。