明けましておめでとうございます。本年も「蔵前トラックⅢ」をどうぞよろしくお願いいたします。新年最初の書評はこちらです。
年末になると競馬のG1をはじめとした重賞のレースが開催されることが度々ある。そもそも「競馬」とひとえにいっても、地方競馬を含めると、至る所でレースが行われる。その中でも賭事として予想を当てるといったことを行う方々も多くあり、予想を当てるのを確認する、あるいはレースを楽しむために競馬場へ足を運ぶことが往々にしてある。その交通手段はバスやタクシーもあるのだが、鉄道もまた一つの手段としてあり、中には競馬場の駅ができるなどしている。本書のタイトルにある2つは切っても切れないものであるが、それは日本の歴史の中で証明付けているという。
第1章「日本の鉄道と近代競馬 そのはじまり」
競馬場は今も昔もあるのだが、かつて存在した有名競馬場として横浜の「根岸競馬場」だった。現在の桜木町駅である、初代横浜駅はその根岸競馬場にほど近いところにあり、初めて競馬場に向けた列車も通っていた他にも次々と競馬場ができ、馬券を求める客が増えてきたことから、そのための臨時列車もできた。
第2章「“競馬場駅”はこうしてできた」
「競馬場駅」が日本で初めてできたのは北海道の函館にある「函館競馬場」の停留所だった。そこから次々と出てきたのだが、鉄道の駅の他にも路線電車の停留所としての駅も数多くある。後にその駅はバスへと転換し、バスのいち停留所として使われることもある。
第3章「競馬場へ!! 観客輸送のライバル合戦~その激しい闘いの跡を見る~」
輸送手段としてのライバル合戦も起こった。それは当時の国鉄もあれば、私鉄各線も進出したことからアクセスの早さや料金などの闘いもあった。さらには第2章でも取り上げたように、バスが停留所として進出することで三つどもえの争いの起こった駅も存在した。
第4章「鉄道会社と競馬 ~その工夫とアイデア~」
争いの中でJRも黙ってはいなかった。生き残るために鉄道ではどのようなアイデアを捻出し、実行してきたのか、そのことについて取り上げている。
第5章「海外の“競馬場駅”~日本と似ている駅・似ていない駅~」
競馬場駅は何も日本の専売特許ではない。海外にも同じように競馬場の鉄道駅が存在しており、各国の競馬場駅を紹介している。
年末にかけて競馬場に来場される方々も多くいる。そのために競馬場駅は今もなお存在する。それは形を変えつつ、なおかつ今の競馬場の状況も反映しながら、である。
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