菅原文太が逝去して5年の月日が流れた。戦後になってから芸能界に入り、俳優として大成した人物でもある。もっとも俳優としては任侠映画や実録映画といった種類、とりわけ「仁義なき戦い」シリーズは代表作にもなったほどである。その菅原文太が生誕から俳優になり、2014年に逝去するまでの生涯について「評伝」という形で取り上げたのが本書である。
第一章「俳優になるまで」
菅原文太は1933年、宮城県仙台市に生まれ、東京で育ったのだが、その後大東亜戦争により疎開。その後高校、大学へと進学し、その大学在学中に芸能界へと歩んでいった。
第二章「新東宝・松竹時代―主役から脇役へ」
俳優デビューを果たしたのは東宝であるのだが、その時は俳優とモデルを掛け持ちした。その後新東宝にスカウトされいよいよ映画俳優への道を歩もうとした矢先、新東宝が倒産、松竹へと移籍することとなった。新東宝では主役を演じることがあった野だが、松竹へ移籍すると脇役しか与えられず、困窮を極めた。その後ある俳優の勧めにより、東映へ移籍することとなった。
第三章「東映時代(一)―時代劇、任侠映画の様式を壊す文太」
東映に移籍してから間もなくは松竹と同じような脇役しか与えられなかったのだが、移籍してから2年で移籍後初めて主役を持つこととなった。その映画はやくざ映画の出演がきっかけで続々と映画の主演を行うようになった。仁義なき戦いシリーズが出てきはじめたのもこの時期である。
第四章「東映時代(二)―「オレの場合は存在感だけでね」」
仁義なき戦いシリーズでの活躍は菅原文太における俳優としてのスタンスを決定づけた。その後勝新太郎や高倉健との共演から、別分野の映画・ドラマの出演など俳優としての幅を広げていった。
第五章「文太の思い」
しかし菅原文太にはもう一つの側面があった。それは父親としての顔もあれば、晩年精力的に行った「農家」としての顔である。俳優業の実質的な引退と共に耕作放棄地を使って有機無農薬農業を行うようになった。また政治的な主張を行いはじめたのもこの時期であったという。そして2014年11月28日、82歳の生涯を終えた。
菅原文太というと仁義なき戦いシリーズの活躍が色濃く残る。その一方で晩年は農家と国民運動を行うようになった。その背景がもしかしたら本書のタイトルにあることを思ったのかもしれない。
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