話術

「話術」と言う言葉があるのだが、私に取っては縁遠いものである。もっとも私自身口下手で、なおかつ会話によるコミュニケーションが下手なのだから。

それはさておき、本書は1947年に刊行されたものを復刻した一冊である。大正時代からは活動写真やサイレント映画で物語を話す「弁士」になり、トーキー映画がでて、弁士の需要が少なくなってくると、今度は漫談家として活躍した。長い人生の中で弁をたたせる仕事に就いたところから話術とは何か、話とは何かと言う一種の境地に達したため、本書を上梓したのかもしれない。しかしその境地はまさに「話」の根幹そのものを成しているだけあり、刊行されてから73年という長きにわたるが、広く親しまれ続けている所以なのかもしれない。

<総説>
第一章「話の本体」
もっとも「話」は誰でもできるものである。そうであるが故に、誰も研究せずに野放しになってしまうのだという。しかしながら話にしても、話術にしても難しく、なおかつ研究できるものであるという。もっともコミュニケーションにしても先天的に得られるわけではなく、場数を踏んだり、研鑽をするからでこそ鍛えられる。

第二章「話の根本条件」

「ハナシは人なり」(P.33より)

の言葉を残している。もっとも話にしても文章と同じように人の性格や価値観が反映されているのだから、人格そのものを映し出していると言っても過言ではない。ただ話を行うにも表現・意志・声調・口調などの要素があり、本章では「根本条件」として定義している。

<各説>
第一章「日常話」
おそらく私たちの生活の中で密接なものはこちらになる。日常会話、いわゆる家族や人との会話もあれば、仕事上での会話と言ったものが本章にあたる。特にどのような話を行ったら良いかだけで無く、コミュニケーションとして大切なこととは何かといった根本が取り上げられている。

第二章「演壇話」
ここでは主に演説・落語・講談・弁士など話しで生業を行う方々に対しての話し方であるのだが、ビジネス的な観点としてはプレゼン術にあたるのかもしれない。そう考えるとビジネスマンのなかで仕事上プレゼンを行う方々から、講演を行う、あるいは研修などで話をする方々であれば本書は実践しがいがある章である。

73年経った今でも幾度となく復刻している所を見ると、おそらくコミュニケーション術の根幹にあたる一冊と言えるのかもしれない。文庫でもあまりページ数がないのだが、1ページごとにこれでもかと言うほどの話のエッセンスが込められている。おそらく「不朽の一冊」とも言うべき一冊と言える。