暴力というと言葉にしても、武力にしても、さらには圧力にしても、様々なものがある。本書はあくまで武力などの物理的と言うよりも、国家やテロなどのマクロの観点から取り上げる社会的な暴力とは何かを取り上げている。
第一章「国家の暴力―我々は奴隷根性を植えつけられた」
国家は状況によって役割が異なってくる。しかし著者に言わせると国家そのものが「暴力装置」であり、その暴力によって私たちは奴隷根性を植え付けさせられたという。もともと著者はアナーキズム(無政府主義)研究を行っており、そのことから「国家=悪」ととして扱われるようになった。
第二章「征服装置としての原子力―生きることを負債化される」
原子力もまた暴力装置であるという。その一つとして漫画「はだしのゲン」を題材としているのだが、そもそもその作者である中沢啓治は実際に原爆の被爆体験を持っており、その影響により天皇制やアメリカを激しく非難したとしてよく知られている。
第三章「生の拡充―支配のための力を解体する」
生きるための「暴力」も存在すると言う。例えば食糧を求めた戦争や騒動といったものがあり、特に米騒動なども本章にて取り上げている。
第四章「恋愛という暴力―習俗を打破する」
恋愛のための暴力というとあまりイメージが突かないのだが、女性に対しての暴力、例えばDVなどもその一つとも言われている。
第五章「テロリズムのたそがれ―「犠牲と交換のロジック」を超えて」
テロは今もなお世界各地で起こっている。そのテロに対して対策を世界各地で行われているがその対策もまた暴力であると著者は喝破している。
暴力を論じるのは非常に難しい。それは国家的なものもあれば、個人的なものに到るまであり、なおかつ物理・精神両面にもあるなど、枚挙に暇がない。そもそも本当に必要な暴力なのかというのもことあるごとに議論する必要があるため、本書のようにアナーキズムの観点から取り上げる暴力もあれば、他の思想からある暴力もある。一元的に取り上げるのが難しい、それが暴力なのかもしれない。
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