長生き地獄

長寿は縁起が良いと言われているのだが、昨今は長生きそのものが地獄になってしまっている様相である。それは長生きしている人自身もそうであるのだが、その周囲の方々も巻き込んで悪影響を及ぼすようなこともある。その長生き地獄はどのような世界なのか、本書はその実態を追っている。

第1章「長生きがこわい」
長生きをすることは良いことのように見えて、実は「絶望」と思ってしまうような人も少なくない。もっとも自分自身いつまでも長生きをしようとは考えていない。ましてやいつまでと言った期限も考えていない。もっとも「いつまで生きる」よりも、「生きている間何をしたいか?」と言うことを常々考えている。

第2章「ルポ・長生き地獄の現場から―それでもあなたは延命を望みますか」
長生きになることは幸せなことかというと、決してそうとは限らない。もっと言うとそうではないケースの方が明らかに多くなってきている。長生きをしている親のために、介護などの時間や費用を子どもたちが負担をするようなことが往々にあり、当事者も「生き地獄」と呼ばれるようなこともある。

第3章「わたしたちの最期はどうなるのか」
いわゆる「独居老人」と呼ばれる一人暮らしの高齢者も多くいる。もっとも一人暮らしとなると、支えてくれる人がいるかどうかによって変わってくる。もっとも「孤独死」や「無縁社会」なるものもあり、誰の支えもなく亡くなっていくという悲しい終末を送るようなひともここ最近いる。

第4章「安楽死はいけませんか―オランダ安楽死協会を訪ねる」
安楽死(「尊厳死」ともいう)は現時点で日本では法律面で容認していない。もっとも安楽死については種類があり、自らの観点で死を選ぶ「積極的安楽死」と、予防や治療をしている中でどうしようもないときに安楽死を選ぶ「消極的安楽死」がある。よくある例としては「延命治療拒否」を自らの意志で示すことによることで自ら死を迎えると言うこともある。ちなみに本章では2001年に「安楽死法」が可決され、実施している組織として「オランダ安楽死協会」

を取材して、容認されている背景を追っている。
第5章「いい死に方をするために―今から考えておきたい10のこと」
「終活」と言う言葉がある。これは自分自身が死を迎えるにあたり、どのような最期を迎えるかという活動を行うことを考え、プランニングするというものである。人は誰でもいつかは死ぬ。その死ぬまでの中で自分自身がいい死に方をするために何をすべきなのか、本章では10個の要素にて提示している。

第6章「どう死ぬかは自分で決めたい」
どれくらい生きるかと言うよりも、もっとも「どう死ぬか」と言うことを考える必要がある。無理して長生きをするよりも、事をなして死ぬ、または自分が死ぬ時期が来たら自然に死ぬ、と言うことも自分自身で決めることも必要なことなのかもしれない。

今、日本は超高齢社会と呼ばれ、なおかつ長生きが必ずしも良いものではない時代である。だからでこそ、今話題となっているのは「終活」としてあり、それを計画・実践することにより、いい死に方を求めていくようになる。

どう死ぬか。それが最も重要になってきた時代になった。