天下人となった織田信長の嫡男であった織田信忠(おだのぶただ)は織田家当主の後継者として有力で、なおかつ家督を継ぎ、天下人としての道を進もうとした矢先、本能寺の変にて、父・織田信長とともに自害したことで知られている。わずか26年の生涯であったのだが、まさに戦国時代の最中を生きた息子どころか、若き武将としての側面もある。本書は織田信忠の生涯を追っている。
第一章「信忠の一門衆」
信忠が生まれたのは1557年のことである。諸説あるのだが長男で生まれたのがもっとも有力である。もともと信忠が生まれた時の信長は、弟である織田信行との闘いの最中だった。
第二章「父信長のもとで」
信忠は誕生してからいち武将になるまでの過程はどのようであったかを取り上げると同時に、もともと信忠の幼名は「奇妙丸」と言われていた。それがなぜなのかも史実とともに取り上げている。
第三章「独り立ち」
信忠が婚約をしたのは11歳の時、武田信玄の六女である松姫(信松尼)である。いわゆる政略結婚であるのだが、もっとも信長と同盟にあった家康と武田信玄とで「三方ヶ原の戦い」が起こった。昨年ラグビーワールドカップにてイングランド対ニュージーランド戦で大きな話題となった「鶴翼の陣 対 魚鱗の陣」である。その戦いで信長は家康に援軍を送ったことにより、婚約は破談となった。その後元服し、織田信忠と名乗り、それからは信長に従えながら戦いへと投じていった。
第四章「天下人の後継者」
長篠の戦いを経て、岩村城の戦いで大きな功績を挙げると信長の後継者としてささやかれるようになった。実際に信長から1975年に家督を譲られ、正式に後継者となった。そこから後継者としての自覚を持ち、父・信長を天下人にするべく奔走したことは言うまでもない。
第五章「本能寺の変」
天下人として確固たる地位を築き上げようとした信長、信長の後継者として着々と武勲を挙げる信忠だったのだが、1582年、明智光秀が謀反を起こし「本能寺の変」が起こった。その変により信長は自害、その後復讐のために光秀を責めようとすし、善戦するもあと一歩及ばず敗北。信忠は自害した。
織田信長の嫡男として、一人の武将として、天下人の後継者として短いながらも、戦国を彩ってきた人物の側面がここにあるのだが、その一方で「織田家」に振り回された側面も見て取れた一冊であった。
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