宇宙は解明できていないものが多くあり、実際に無限なのか有限なのかも未だに不明である。もっとも人間の思考の域を遥かに超えていることは明らかだが、実際に「どこまで」というのは未だに分からない。
もっとも宇宙論を哲学で語るのは難しいように思えるのだが、実際に科学にしても、数学にしても、その根源を辿っていくと「哲学」に帰している。
そもそも哲学における「宇宙」はどのように論じてきたのか、哲学の歴史と宇宙解明の歴史とともに紐解いている。
第1章「人間にとって宇宙とは何だろうか?―古代ギリシアの哲学の誕生」
宇宙に関する考察でよく知られてたのが、古代ギリシアにおけるアリストテレスの「天動説」がある。諸説あるもののアリストテレスは地球が中心となり、その周囲が球のようにして周回しているとしており、よく言われる天動説はプトレマイオスが唱えた説がよく言われている。それが中世から近世にかけてカトリックでの公認として扱われ、それに異を唱えると異端として裁判にかけられた(ガリレオ・ガリレイが一例としてある)。
その宇宙の基礎としてある「星座」は古代文明によって生み出され、それがやがて数学・音楽も生み出し、ある種のロマンの如く宇宙や天文の「思想」として描かれた。
第2章「宇宙に果てはあるのか?―「天空」と「道徳法則」への近代哲学の問い」
時代は大きく変わり、カントの時代に入ると宇宙哲学はどのように変わったのか。もともと天動説が唱えられた哲学では宇宙は「有限」なるものだとされてきたのだが、それが無限なる存在にまでなった。その頃から宇宙における「果て」がどこにあるのかも議論されるようになった。
第3章「宇宙人は「知性」をもつのか?―現代哲学の挑戦」
今もなお宇宙人がいるのかどうかについては議論の的でありながら、未だ解明されていない事項である。もっとも宇宙人などの生命体が存在する可能性は低いものの、ゼロではないことは確かである。その「宇宙人」は存在するのかどうかについても哲学的な観点で議論されているのだが、どのような議論があるのか、また宇宙誕生とビッグバンについても哲学的に論議されており、その足跡が取り上げられている。
宇宙と哲学は遠いようでいて、実は近い。もっとも哲学も思想の中での宇宙を紐解いている様なものであるため、実際にある宇宙を議論することもある。その哲学における「宇宙論」の変遷がここにある。
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