本書のタイトルを見ると、何やらお店を閉店するようなニュアンスのように思えてならない。しかしながら本書は国を「終わらせる」と言う意味での「たたむ」ではない。国家として、地方としての風呂敷をたたんで小さくすると言う意味で「たたむ」である。その風呂敷の多くなった国をいかにして「小さな国家」としての日本をつくり上げるのか、そのことについて取り上げている。
第1章「広げすぎた風呂敷をたたもう」
もともと風呂敷は広げすぎたのかというと、疑問符があるのだが、考えてしまうのがどれが広げすぎで、どれがたたみすぎで、どれがちょうどよいのか全く分からないところにある。昨今の国家自体が広げすぎているのかも全く分からない。
しかしながら著者は「広げすぎている」のだという。もっとも戦前の日本から人口は爆発的に増加し、一極集中が拡大の一途を辿っている。そのためにたたむべきと主張している。
第2章「県庁は仕事のなくなった「卸売業者」」
権力のほとんどは政府や中央省庁が握っており、地方自治体にはその地域に関しては顕現があるのだが、具体的な所を見てみると地方自治体が顕現を握ることが少ないという。もっとも県庁などの地方自治体自体が仕事おりてこず、本章のタイトルのような状況に陥っているのだという。
第3章「道州制で県を畳む」
それを打破するために、風呂敷をたたむために「道州制」を主張している。道州制自体の議論は戦後になってからちらほらあったのだが、盛んに行われたのは2000年代後半になってからであるが、リーマン・ショックの煽りを受けて雲散霧消の状態になったことは記憶に新しい。
もともと道州制のメリットとは何があるのか、そこには「地方自治権」の高度化に対応することがあるのだが、他にあるメリットも本章にて列挙している。
第4章「それぞれの州の強みと売り」
では著者が道州制を行う場合、どのような州を築くべきなのか、本章では北海道から沖縄に至るまでの州の構成の他に、それぞれの州の利点について取り上げている。
第5章「東京を減反しよう」
減反(政策)はいわゆる「生産調整」であり、余剰の生産を抑えるための言葉である。東京では農業は盛んに行われているかというと決してそうではなく、ごく一部の地域で行われているだけでほとんどないと言うほかない。その理由としてカロリーベースの食料自給率はずっと「1」の状態である。
ちなみに本章における「減反」は人口を抑制するという動きのため、それを農業政策に見立てた「減反」と喩えているのだが、人によっては「人間は農作物じゃない」と主張することもある。
第6章「二都構想──大阪を「副首都」に」
「副首都」と言うわけではないのだが、今もなお「大阪都構想」は残っており、実現に向けて動いているという。過去にも2015年に大阪都構想実現するかどうかで住民投票があったのだが、僅差で否決された。
著者は大阪都構想に賛成の意向であるが、その前提として道州制の所も絡んでいる。
本書はとどのつまり「道州制」のメリットを取り上げているが、昨今の状況として議論が成されるのはまだ先と言うほかない。国難の状況にあるためである。ただ今回の状況がもし道州制であればどうなっていくのか、著者を始め、論者はシミュレーションをして行っても良いのでは無いかとも考えてしまう。
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