「美学」と言うとセンスや雅といった表現が用いられる。もちろんその美学を通して、感性が伝わり、私たちに届けられる要素がある。しかしその美学は「危険」と隣り合わせである。縁遠いように思えるのだが、実はモノ・コトの善悪を判別しづらくなり、善悪つきにくくなり、取り返しのつかないことになるのだという。そもそも美学とは何か、そして美学におけるリスクとは何か、本書ではそのことについて論じている。
第一部「美は眩惑する」
第一章「「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険」
戦前・戦後間もない時まで活躍した詩人・歌人の高村光太郎は芸術家としての美を追い求め続けた。しかしながらその「美」を追い求めることによって、今ある現実を眩惑(げんわく)させると著者は批判している。
第二章「アニメ『風立ちぬ』の「美しい飛行機」」
宮崎駿監督のジブリ映画は数多くあるのだが、ごく最近にて作られた中で2013年に公開された「風立ちぬ」がある。いわゆる「零戦」と言われる零式艦上戦闘機の設計者であるとい堀越二郎をモデルにした作品であり、飛行機に対する美しさと絵を表現したと言われる。こちらの美に対しての批判もあるのだが、第一章に共通するものとして戦争、あるいは戦闘機に対する「美化」を批判しているように思えてならない。
第二部「感性は悪を美にする」
第三章「結核の美的表象」
日本での流行病のなかで長らくあったものとして結核が挙げられる。その結核について文豪たちがかかる事も珍しくなく、なおかつ結核を描写した作品もいくつか存在する。その結核について美的な表現について批判をしているのだが、他にもジムでトレーニングするなどへの批判も本章にて行っている。
第四章「「散華」の比喩と軍歌<同期の桜>」
今となってはタブーの一種としてあるのだが、日本にも「軍歌」は存在していた。もちろん戦前のころには数多く作られたのだが、その中でも有名な「同期の桜」の歌詞について批判を行っている。
美学はそれぞれのセンスによってなり立つものでもあるのだが、そもそも美学は人によって異なるものがあり、対立することもある。しかしながら本書はその「美学」に対して真っ向から批判を行っているのだが、では美学がなくなったとしたら何が残るのか、それも考えておく必要がある。
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