毒親介護

介護に関するノンフィクション作品を見ると、介護の苦しさや現状を知るといったことが中心だった。しかし本書は少し趣が異なり、介護もさることながら家族関係、特に親子関係の歪みによる介護の苦しさ、そして事件といったことを取り上げている。自分自身も離れてはいるものの親は存命であるが、もしも本書のような現状に遭うとなると思わずゾッとする。

第1章「親の老いがむき出しにする、過去の家族関係」
人は感情から老いると言われている。その感情の老いに対して、子どもたちはどのように思い、向き合っていくか。しかしながらその老いによって表れてきた感情によって、肉体・精神双方で虐げられる子どもたちの姿も映している。そこには過去の家族関係によってもたらされた部分があるという。

第2章「「かわいそうな親」に振りまわされる人たち」
そういった状況になると子どもに目を向けるべきかもしれないのだが、実際にはそうではなく、本来被害者となっている子どもたちがさも加害者のように扱われ、その親は加害者ながらも被害者として扱われる、端から見ると「かわいそうな親」と言われる。しかしその親に振り回され、疲弊していき、さらには財産まで取られると言ったケースもある。

第3章「お金と仕事と希望―、介護で自分の人生が消えていく」
もっとも子どもたちにはまだまだ働きたい、あるいは活躍して稼ぎたいといったものがあったのだが、介護となると、その時間も取られてしまう。特に介護となるとその親たちの状況によって大きく変えられてしまうこともあるという。介護だけでなく、病気に対しても向き合っていく必要があり、特に認知症になってくると、肉体・精神的に疲弊を被ってしまう。

第4章「毒親はなぜ子どもを傷つけたのか」
被害者となった人は時として加害者に転ずることがある。しかもその加害者は被害者の面を持っており、加害しているにもかかわらず「私は被害者だ!」と主張する側面もある。その親の加害の心理はどのようなものなのか、そのことについて分析を行っている。

第5章「「毒」なのか、それとも「老い」なのか」
もっとも「介護うつ」といった症状も存在するのだが、その「うつ」は介護を受ける親にも同様に受けることがあるのだという。またそのうつにより、子どもに伝播すると言ったケースも存在する。また認知症もあるのだが、それによって「毒」のような扱いをされてしまうケースもあるという。一概に悪意あっての「毒」とは言い切れないのも「毒親」の事情としてある。

第6章「毒親介護に希望はあるか」
決して姥捨て山に捨てろと言うわけではないのだが、金銭的に余裕があれば介護をプロに任せることも一つの手段である。介護は必要なことだが、深く関わりすぎていると、自分自身の未来も潰してしまうことにもなりかねない。もちろん介護を全て放棄するわけではなく、頻度はどうであれば面倒を見ることを「少なくする」など工夫することによって介護も仕事、家族との両立を図ることができるようになる。

本書のタイトルにあるような介護は家族の問題、金銭的な問題など様々な要素があるのだが、そこには解決に向けた糸口は必ず存在する。もちろん難しい部分もあるのかもしれないのだが、今日では相談できる窓口もあるため、まずは外部と相談してみるのも手であろう。