ファッションの哲学

ファッションは元々身なりのことを表しているのだが、そのファッションにしても身体のこともあれば、さらには流行もある。流行の先には文化や産業、表現といった要素があり、表現の在り方もファッションとともに変わっていく。

ではファッションはどのような「哲学」を持っているのか、本書はそのことについて取り上げている。

第1章「着ているもので、その人がわかる」
私自身もそうであるのだが、ファッションに「無頓着」な人は必ずいる。その反面ファッションに強いこだわりを持ち、「こだわり」と言うだけでも特定のブランドにこだわる人もいれば、自分自身の考え方が個性的で、周囲からも浮いてしまうようなものを好む人もいる。
もっとも「ファッション」とはどのようなものなのか、その「原点」を知る必要がある。そのため、本章の冒頭に「ファッションは行為か現象か」を取り上げている。その上でファッションは「個性」を表すための表現という名の「言語」なのかも突き詰めている。

第2章「ファッションは身体を解放した」
そもそもファッション自体は自身の身体のこと、仕事としてのこと、考え方のことなど全てを表しているように思えてならない。そのため言葉や声ではなく、「身体」そのもので表現をすると言う意味で「身体の解放」を挙げているとも言える。

第3章「ファッションは美を作る」
ファッションは「美的表現」の一部とも言われている。身体の在り方もあれば、どのような布を使い、色・刺繍などのデザインも思考・表現のツールとして表している所を見るとファッションにおける「表現」は多岐にわたる。

第4章「欲望と誘惑と搾取のビジネス」
「美的表現」というと、ファッションばかりではない。化粧などの「コスメ」と言ったものがあるが、ファッション業界では流行り廃りが早く、なおかつ誘惑されやすい部分もある。ブランドを求める方、新しい流行を求める方などがあり、その欲望の幅を考えるだけでもきりが無いほどである。

第5章「からだを作り出すちから」
身体表現としてファッションがある。もちろん衣服のみならず頭髪や化粧などもあるかもしれないが、最も見た目として焼き付けられるのが、ファッションをはじめとした「身なり」である。

ファッションは一つの表現でもあり、文化でもあり、産業でもあるため、一括りで語ることは非常に難しい。ただファッションがなぜ先述のように一括りで語れなくなるところまで至ったかというと、「美的表現」を基軸にして、その表現が文化をつくり、産業にしていったと考えるのが適当かもしれない。その表現の中にファッションとしての「哲学」がある。

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