『広辞苑』をよむ

当ブログで書評を行うにあたり、ちょくちょく言葉を引用することがある。特になじみ深い言葉や、本の中核となる言葉を辞書的な意味として取り上げることがある。その多くは「広辞苑」から引っ張っている。どのように引っ張っているのかというと実際の本で調べるのではなく、電子辞書の時もあれば、ここ最近では文字入力ツールの中に広辞苑が組み込まれており、変換をする際に広辞苑としての意味が出てきている。それを引用することも大いにある。

実際に紙での広辞苑も何度か開いたことがあるのだが、よくある国語辞典よりも収録の語彙が豊富であり、まさに三浦しをんの小説「舟を編む」のようにある、言葉の海を船で渡っているようなものである。本書はめくるめく「広辞苑」の世界を誘っている。

第一章「「凡例」をじっくりよむ」
辞書には辞書なりの、書き方、あるいは方針などがある。それを「凡例」と言い、広辞苑にも広辞苑の「凡例」が存在する。辞書の意味の編み込み方も辞書の個性であるのだが、凡例はその個性の度合いをさらに高めている。では広辞苑の「凡例」とは一体どのようなものなのかを取り上げている。

第二章「『それを』の歴史と日本語の歴史」
「広辞苑」として生まれたのは、初版が世に出た1955年のこと、ちょうど65年前のことであるのだが、大東亜戦争前には「辞苑(じえん)」と呼ばれるものがあった。今から85年前の1935年のことである。今ある広辞苑は本書を出版したところと同じ岩波書店であるが、「辞苑」を出版したのは博文館である。その辞苑を出版するにも、岩波書店の創業者である岩波茂雄の助力もあった。しかしその辞苑は大東亜戦争や日中戦争をはじめとした第二次世界大戦の激化により滞り、次なる編纂が終わったときには広辞苑となり、その初版が生まれた。

第三章「『広辞苑』と『大辞泉』『大辞林』―三つの中型辞書を対照する」
日本語の辞典と言っても広辞苑ばかりではない。小学館が発行している「大辞泉」や三省堂書店が発効している「大辞林」がある。いずれも広辞苑に対抗して企画に挙がり、書物として結実したものである。ただ、両方とも初版が出版されたのは1995年(大辞泉)、1988年(大辞林)と比較的新しい。とはいえ、対抗しているだけのことはあり、編み込み方や凡例も広辞苑所なる色を出している。

第四章「『広辞苑』と『日本国語大辞典』―大型辞書とくらべる」
「日本国語大辞典」は大辞泉と同じく小学館で出版されているのだが、収録されている言葉は実に50万語以上にもなり、日本最大の国語辞典とも言われている。もちろん広辞苑との比較としてどのような違いがあるのかも取り上げている。

第五章「『広辞苑』の使い方―「世界をのぞく窓」を増やそう」
広辞苑は「読む」ためじゃない、「使う」ためにある。もちろんその「使う」にしても、どのように使えば良いか分からない方々も多くいる。本章では著者ならではの広辞苑の使い方をレクチャーしている。

第六章「さまざまな『広辞苑』―検索機能と辞書」
今では電子辞書にも収録されており、私のように日本語入力を変換する際に引いてくれるようなものまである。広辞苑として言葉の意味を知るところでお世話になり、より効率的に言葉を調べられるメリットもあるのだが、辞書であるため、紙で引いてみると思ってもみない言葉に出会い、使いたくなると言った要素もある。

第七章「『広辞苑』で遊ぶ」
本書は是非学校教育で推奨したい「遊び」と言える。とはいっても広辞苑の本で「叩いて被って・・・」をやるわけではない。広辞苑に出てくる言葉を拾い集める、そして辞書を引いて言葉を探す遊びなどもあるなど、広辞苑という辞書の奥深さを学び、ひいては日本語の言葉の深さを知ることができる絶好のゲームがいくつか取り上げている。

広辞苑は紙でも何度か見たことはあるのだが、特に広辞苑を親しんでいるのはここ最近のことである。書評を書くにあたって色々な新しい言葉を知りたい好奇心で、日本語入力ソフトの中に広辞苑と大辞林が組み込まれているのだが、その言葉を変換したときに辞書としてどのような意味なのかが表示され、知ることができる。そして本書の第7章にもあるように辞書による「遊び」もでき、奥深さと面白さを知ることができる。そしてそれを通じて私たちは知ることになる。「とかくに日本語は深く面白い」と。

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