「さみしい(寂しい・淋しい)」を辞書で引いてみると、
「1.もとの活気が失せて荒廃した感じがする。
2.欲しい対象が欠けていて物足りない。満たされない。
3.孤独がひしひしと感じられる。
4.にぎやかでない。ひっそりとして心細い。」(「広辞苑 第七版」より)
とある。本書の中核はどちらかというと3.の意味にあたる。ツービートとして漫才ブームを牽引し、そして映画監督としても活躍するなど、いちお笑い芸人の域を超えたマルチぶりを発揮するビートたけし(北野武)はここ最近「さみしさ」を覚えているのだという。そこには人、老い、さらには社会そのものとあるのだという。そのさみしさの根源について綴ったのが本書である。
第1章「老い、孤独、そして独立について」
オフィス北野から独立したこと、熟年離婚をしたこと、そして自らの老い、それらを全部向き合い、そして前へと進んでいく今の自分を思い返している。思えば、芸人として、さらには映画監督としての活躍を果たし、その後の人生のこと、また必ず迫り来る「死」についても余すところなく明かしている。
第2章「友の死、さみしいね」
たけしの「友」と呼べる人物はたくさんおり、イタズラをするなどバカをしあうようなこともあった。しかし「友の死」はショックやさみしさを隠せないことがある。古くはフジテレビアナウンサーで後にフリーアナウンサーになった逸見政孝が1993年に逝去したときのエピソードがあまりにも有名である。告別式の時には号泣したという。
本章ではここ最近逝去した松方弘樹、大杉漣、さくらももこ、星野仙一、樹木希林とのエピソードを取り上げている。
第3章「ニッポン社会も老いている」
GHQの最高司令官を担ったダグラス・マッカーサーが総司令官解任後のアメリカ上院における公聴会にて「日本人は12歳の少年のようなものです」と発言したことで物議を醸した。これは日本はまだ新しい概念を植え付けるには伸びしろがあり、柔軟性があるため受け入れられやすいという意図が込められていた。特に伸びしろ・柔軟性のところが活かされ、高度経済成長に突入したとも言える。
しかしたけしは今の社会は少年どころか、還暦を迎えて、老いてしまい、頭を固くしてしまったと指摘している。それは日本の社会のみならず、芸能界にも発展しているとも言及している。
「さみしさ」は誰にでもある。それは年を取るうちに、多くのさみしさを受け取り、大きなものになって行く。さみしさを抱えながら人生という旅路はこれからも続く。
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