最貧困女子

「貧困」と言う言葉は2000年代後半になってから使われ出したような感覚がある。特にここ最近では「貧困○○」や「○○貧困」など何かにつけて「貧困」と叫ぶような論調の本やメディアも数多くあったことも覚えており、当ブログでもいくつか取り上げたことがある。

本書はその類いの一つとも言えるのだが、強調しておきたいのが「最貧困」という「貧困」を殊更強調している所にある。なぜ強調しているのか、それは本書で出てくるエピソードの中に詰まっている。

第一章「貧困女子とプア充女子」
「貧困」となると社会という世界の中で取り残され、なおかつ必死にもがいて生きている姿を想像に浮かぶ。本章でも前半では貧困女子の窮状を取り上げている。
後半は周囲からは「貧困」というイメージながらも幸せに生きている、いわゆる「プア充」と呼ばれる女子を取材している。同じ「貧困」であっても考えや心の持ちようによっては大きく変わることが良くわかる。

第二章「貧困女子と最貧困女子の違い」
では本書の表紙にある「最貧困女子」は「貧困女子」と比べてどのような窮状を持っているのか。そこには「売春」の世界に踏み入ってしまった方々を表している。それも家族がおり、手助けも受けられない毎日を過ごしている。「貧困」と言う言葉を聞くと「お金がない」イメージが持たれるのだが、それよりも、「お金以上」のものも持ち合わせることができなかった。その「お金以上」はわたしたちが生まれ育っていく中で欠かせないものの中に含まれている。

第三章「最貧困少女と売春ワーク」
最貧困である少女たちと売春は切っても切れないものである。その少女たちは住所もなく、なおかつお金を借りたり、家を借りることすらできない状態にある。最貧困は最貧困のままかというとそうではないのだが、実質的に固定化されるような事象もある。またその最貧困女子に対して手を差し伸べる「ビジネス」も存在するが、「ビジネス」であるだけに収益を得られる仕組みまで本章にて明かされている。

第四章「最貧困女子の可視化」
最貧困女子にて行われる売春ワークにもいくつかの分類があるというのだが、具体的にどのようにして分類されるのか取り上げるとともに、一部の売春ワークの事情と、「業界」の中での事情も併せて取り上げている。

第五章「彼女らの求めるもの」
売春ワークを行っている人たちが求めているものは私たちの想像しているものとは異なる。本章を読む前のイメージとしては安定した生活を送りたい、人並みの衣食住を行えるようにしたいと思っていたのだが、彼女たちの望んでいるもの、提言しているものはそうではなく、男女の関係や業界についてのことだった。

本書で取材された最貧困女子たちは本当に幸せなのだろうか、その苦しみは一生味わっていくのかという考えさえしてしまった。自分自身も想像し得ないような世界がここにあり、かつ本書で取り上げられた女子たちがこれからどうなっていくのかという考えもよぎってしまった。