新型コロナウイルスの影響は非常に強く、多くのプロスポーツで中止や延期が続いている。高校野球でも春夏ともに中止が発表された一方で、プロ野球は延期が発表されていたが、ようやく6月19日に開幕することが決まった。野球に限らず、スポーツ・イベント問わずに中止などが相次ぎ、再開や延期開催の目処すら立っていない状況にある。
その中で本書を取り上げるのも難しい部分がある。ちなみに本書はプロ野球ビジネスおよび、アマチュアを含めた野球界は構造的に改革しなければならないと主張しており、ここままでは野球界そのものが消滅してしまうと危惧している。なぜ問題なのか、そして変わるにはどうしたら良いのかを取り上げているのが本書である。
第一章「プロ野球ビジネスが成り立たなくなる日」
プロ野球もまたビジネスの一種である。そもそも野球を生業としているプロもいれば、そこで開催される球場(ドーム)、グッズ、さらには放送など様々な構造によって成り立つ。ここ最近では地方でも球団を応援する所が出てきており、活況を呈しているように見えるが、実は地方と行っても大都市に限られており、それ以外の所では衰退しているという。そのほかにも観客の人数にしても延べ人数では増加しているものの実際の人数は減少の一途を辿っている。
第二章「消える野球少年」
ここ最近では小中高ともども野球少年の減少が目立っている。野球チームの減少はもちろん、中・高の野球部員が減少しているところもデータを通して取り上げている。
第三章「二極化する高校野球の行く末」
高校野球は相変わらずの人気を呼んでいるのだが、実質的に二極化が進んでいるという。その理由としては特に私立と公立との「二極化」が挙げられる。公立での高校野球の優勝というと夏では2007年の佐賀北高校が、春では2009年の清峰が最後である。それ以降は全て私立の高校が優勝している。また私立でも高校野球の強豪の間で頻繁に優勝が取れるところ、そして出場してもなかなか勝利が取れない所と行った格差も生じている。
第四章「「プロアマの壁」は崩れていない」
プロとアマチュアの壁ができたのは1961年の柳川事件である。その当時はプロとアマの壁はあってないようなものであったのだが社会人野球と呼ばれるアマチュア野球はプロに引き抜かないように協定を定めていた。しかし1961年、日本生命にて社会人野球で活躍した柳川福三を中日ドラゴンズが引き抜いたことにより、社会人野球側が激怒、緊急理事会が行われ関係を断絶した事にある。その状況が長きにわたり、続いたが、やがて雪解けが進み、今度は引退したプロが野球部のある学校の監督やコーチを務めるところも出てきた。協定こそはある程度構築されたものの、今もなおプロアマの壁は崩れていないと主張している。
第五章「学童野球の闇」
野球界に暗い影を落としているのが「学童野球」にあると指摘している。実は学童野球にも全国大会が存在しており、「マクドナルド・トーナメント」がある。しかし、その大会自体は地域によって出られる・出られないがり、それは団体加盟の所にある。学童野球の団体は大きく分けて2団体(全軟連とスポーツ少年団)あり、活躍するためには少なくとも1団体以上の加盟が必要となる。以前は片方しか加盟できなかったが両方の加盟が可能である。とはいえ片方しか加盟していない所によっては別の団体の大会に出られないという「事情」が存在する。
第六章「野球村に必要なアップデート」
野球のキャリアは日本と海外(アメリカやドミニカなど)とは大きく異なる。日本では甲子園止まりになる球児や日本球界のみで終わる球児もいる一方で、ドミニカではアメリカのメジャーリーグを目指すケースがほとんどである。もちろん国民性もあり比較は難しいのだが、そもそも野球自体がWBCやプレミア12など世界的な大会に日本のプロ野球選手も関わっていくことから、国際化に併せたルールや考え方の醸成が必要と提言している。
ここ最近では地域の独立リーグも出てきているものの、それが人気を呼んでいるのかと言うと疑わしい。その理由としてメディアでもあまり取り上げられておらず、有名選手が独立リーグに移籍したというニュースでしか知ることができない。そもそもプロ野球という概念もセリーグ・パリーグあわせて12球団の状況は今も昔も変わっていない(最新で変わったのが近鉄の消滅と楽天の誕生くらいである)。そのような状態の中で野球は本当に栄えるのかと言う疑問は持たれるのだが、改革をしていくためにはフロントだけでなくファンからも声を上げていくことも必要である。
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