「不登校」自体、ネガティブに扱われていることがほとんどである。当たり前に投稿すべき学校に長らく投稿しないこと、またその要因としていじめなどのものもあれば、授業についていけないと言った要因もある。そのことから、よくメディアでもネガティブのように扱われるのだが、本書の著者は不登校の駆け込み寺としてある「東京シューレ」を設立した。
不凍港の子どもたちを受け入れ、どのようにケア・教育を行っていったのか、「東京シューレ」を設立するまで、そして設立してから軌跡を綴るとともに不登校における考え方について取り上げている。
第一章「学校に行かなくなる子どもたち―深刻なミスマッチと多彩なオルタナティブ教育」
長らく学校を休むというと、「不登校」をイメージされるが、実際にその部分もある一方で、病気や事故などで長期的に休まざるを得ない事情も存在する。しかし「不登校」は病気や事故以外の要因であり、なおかつそのほとんどは児童・生徒同士、さらには教師との関係のミスマッチによる原因が多くある。他にも冒頭で述べたように授業について行けないのものあれば、中には「なんとなく」といった理由自体も分からずに不登校になる人もいるのだという。特に不登校の要因として最も多いものとしていじめなどの人間関係が原因となり、心身的に疲弊してしまい、最悪自殺してしまうといった傾向もあるという。
第二章「フリースクールで「やりたいこと」に気づく―「東京シューレ」35年の経験とOB・OGたちの進路」
著者は元々小学校教師であり、自らの子が不登校となった時に、親・教師の状態の板挟みの中で学校教育の歪みに気づき、なおかつ子どもを第一に考える大切さを見出し、1985年にフリースクールである「東京シューレ」を設立した。今年でちょうど設立して35周年を迎える。その東京シューレではどのような授業などのプログラムを行っているのかを取り上げている。
第三章「なぜ「子どもが決める中学校」が成り立つのか―東京シューレ葛飾中学校の実践と卒業生たちの進路」
東京シューレでは2006年に小学校の跡に私立の中学校として東京シューレ葛飾中学校を開校した。私立の中学校でありながらも、学校のプログラムそのものが独特で、時間割などを「子ども」が決めるのだという。もちろんフリースクールから生まれた中学校であるため、不登校をしていた生徒たちが入学しているという。その設立までの道のりときっかけについて取り上げている。
第四章「はじめての不登校Q&A―「こんな時にどうしたらいいの?」に答える」
多くの不登校の人と関わってきた中で、どのような相談があり、どのようにして回答したのかについて代表的なものを取り上げている。不登校にまつわるイメージはたくさんあるのだが、そのイメージを捨てる部分もある。
第五章「不登校はどんな扱いを受けてきたか―問題扱いの65年・転換の5年」
戦後の日本教育の中で「不登校」が問題視されるようになった。問題視されるようになり始めた当初は「不登校」ではなく「登校拒否」と呼ばれ、いつしか「不登校」に改められるようになった。その不登校となる要因は戦後になってから今までも変わらない部分もある一方で、経済的な困窮により通えないことも少なくなく、特にここ最近では格差や貧困と行ったことで起こっているという。
また「不登校」に対するイメージは数十年のなかで大きく変わったという。かつてはネガティブな印象が持たれており、むしろ害悪とも扱われるようになったほどである。東京シューレが設立した当初も良い印象は持たれておらず、学校との衝突もあったという。しかし時代が変わるにつれてフリースクールは多く生まれることにより、不登校になっても、違うコミュニティを見つけ、そこに通うようになるといった明るい兆候も見られるようになった。本書のタイトルにある「明るい不登校」というイメージが定着しつつある。
以前当ブログにて「僕は僕でよかったんだ」という本を取り上げたのだが、東京シューレは不登校に対してネガティブな印象が蔓延していく中で不登校の子どもたちを受け入れ、続いている。その時代の中で不登校に対するイメージは大きく変わり、多くのフリースクールが生まれ、不登校の子どもたちのよりどころは増えている。その一方で今もなお不登校に対するネガティブなイメージは存在しており、登校圧力もある。とはいえ多様化している子どもたちの受け皿として、そして不登校の子どもたちの受け皿として東京シューレがある。
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