放送の自由―その公共性を問う

「放送の自由」というと、かつては自由があったのだが、今となってはBPOなどの圧力から自由がなくなった、つまらなくなったといった声も少なくない。また放送自体も同じ内容の二番煎じ・三番煎じといったものから、内輪受けのようなものもでてくるなどもある。また報道については「自由と平等」が果たして担保されているのか自体が不明という有様である。本書は放送制度をはじめとした歴史を紐解きつつ、法律や倫理を当てはめながら「放送の自由」は何なのかを紐解いている。

第1部「放送制度の歴史と放送の自由」
元々「放送」が生まれたのは戦前になってからのことである。1924年に「社団法人東京放送局」が生まれたころが始まりである。現在のNHKである。その時はラジオ放送が中心であり、ニュース・バラエティなども放送されるようになったが、実際のところ、細々とした「細則」「規制」が定められており、不自由なものだった。「社団法人」であはあるものの、所轄逓信局の局長権限で放送中止にできるといった実質的な国が放送を管理・検閲する面もあった。また「NHK」となったのは戦後間もない1946年であり、その後現在も存在する「放送法」が1950年に公布・施行された。

第2部「憲法から見た放送の自由」
その放送法と日本国憲法との兼ね合いについて取り上げている。日本国憲法第21条には様々な「自由」について取り上げており、その中には「表現の自由」がある。また放送法でも第4条にて

「1.放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二  政治的に公平であること。
 三  報道は事実をまげないですること。
 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
 2.放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。」「一般財団法人情報通信振興会」HPより)

とある。過去にこの放送法第4条を廃止する議論が行われたが、現在も残っている。また第4条を巡る裁判も起こっており、最高裁にまで発展した事例もある。現在も報道によっては放送法第4条に違反しているという意見もあり、その議論と表現の自由とどのような兼ね合いを見せるのかについて取り上げているのが本章である。

第3部「自由・自律の放送倫理の実践」
放送の自由はあるのだが、その「自由」の中には「自律」や「責任」が生じる。しかしながら「自由」に放送しても、自律・責任を持っていないようなものもあり、その自律作用を行っているのが、今日でも議論の的になっている「BPO(放送倫理・番組向上機構)」であり、各放送局にある「番組審議会」である。それらの機能と課題、さらには海外ではどのように自律しているのかを取り上げている。

おそらく「放送の自由」は放送の世界がある限り、永遠になくならない議論の的である。公共性についても揺らいでおり、なおかつそもそも平等や自由を持ちつつ、自律のある放送はどのようなものか、そのものの定義も曖昧なものになっている。そう考えるといったん放送そのものの定義を一から見直した方が良いのではないかとも考えてしまう。

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