ヴィルヘルム2世 – ドイツ帝国と命運を共にした「国民皇帝」

ドイツ帝国最後の皇帝であり、プロイセン王国最後の国王でもあったヴィルヘルム2世は、一貫した帝国主義を主張し、第一次世界大戦の引き金を招いた。さらにその世界大戦で実権を喪失し、さらにはドイツ革命までもたらされ、退位・亡命し、生涯を終えると言った生涯だった。なぜ彼は世界帝国を目指し、そして第一次世界大戦の引き金を引いたのか、その生涯を追っているのが本書である。

第一章「二人にヴィルヘルム」
ヴィルヘルム「2世」とあるが、1世は彼の祖父であり、2代前の皇帝であった。ただ純粋なドイツ人ではなく、ハーフである。というのは父はフリードリヒ3世で純粋なドイツ人であったのだが、母は元々イギリス王女であったヴィクトリア(「ヴィクトリア王朝」を築いたヴィクトリア女王の長女)だったためである。
元々ハーフであることと、さらに逆子による難産の代償により左半身に障害があるなど、様々な「ハンディ」があった。

第二章「「個人統治」への意志」
元々ヴィルヘルム2世は学生のころから政治思想を育んだのだが、その思想は保守的であり、なおかつ皇帝になるころには「親政」をかかげ、皇帝自ら積極的に政治に関わることを考えていた。実際に皇帝となったのは1888年のことである。その時から積極的に政治へと関わっていった。しかしそれが当時宰相だったビスマルクを含め対立を招き、祖父のヴィルヘルム1世時代からながく続いたビスマルクを辞職させた。皇帝になった当初は社会政策にも力を入れたのだが、やがて消極的になっていき、次章の帝国主義に走って行くようになった。

第三章「世界帝国への夢」
海軍力の増強や、ドイツ「帝国」としての威厳を高めることを主軸にして、新たな植民地獲得を狙うといった事を行ってきた。外交についても「帝国主義」を推進していった結果、イギリスなどの多くの強国との対立を深めていった。さらにロシア帝国との距離を深めようとしたものの、日露戦争にてロシアが敗北し、さらにイギリスは日英同盟を結ぶなど、ドイツそのものが孤立することとなった。

第四章「世界大戦へ」
第一次世界大戦の大きな引き金はサラエボ事件だが、元々ドイツというよりも同盟国であるオーストリアが引き起こしたのだが、ドイツにとって最後の同盟国であるだけに、総動員令を発令し、ベルギーに侵攻を開始した。しかしドイツの世界大戦参加自体は帝国主義の主張と言うよりも、先述のオーストリアと諸外国間との事情による焦燥感からと指摘している。戦況はと言うと不利な立場に見舞われ、やがてドイツの政治の場でも孤立する事となった。やがてドイツ革命が起き、ドイツ皇帝・プロイセン国王を退位せざるを得なくなり、オランダに亡命した。

第五章「晩年」
亡命後も王政復古の夢は消えることはなかった。悠々自適に過ごしながらも、ドイツの政界とも関わりを持っていた。その一方で戦争犯罪に関する訴追の動きもあり、連合国側は訴追を行おうとしていた。しかしながらオランダ政府は拘束などを行っていなかったことから、引き渡しなど全て拒否され、最終的に裁判を行うことはなかった。そしてオランダにいたまま第二次世界大戦中の1941年に崩御した。

ドイツ最後の皇帝であるヴィルヘルム2世は保守的な人物であり、なおかつ帝国主義的な人物であった。そうであるが故に、諸外国との対立を引き起こし、世界大戦へと発展していった。トイツ「帝国」そのもの盛衰のなかでも「衰」といった所を担った皇帝であった。