紫外線の社会史――見えざる光が照らす日本

真夏と呼ばれる季節で、晴れた日は日光がまぶしく、なおかつ紫外線も非常に強い時期である。人によっては日焼けをするから好意的に捉える人もいるのだが、中には紫外線は肌荒れの原因にもなるため、紫外線対策を徹底的に行うという人もいる。

そもそも紫外線自体は見えないものである。見えないものに対してどのように関わってきたのか、本書は紫外線と社会との関わりについて取り上げている。

第1章「紫外線ブームの時代へ」
紫外線が言われ始めたのは19世紀の時からである。しかしその時の紫外線は目に見えないものであるため、むしろネガティブなイメージとして捉えられた一方で、目に見えない、また何もわからないからでこそ、新しい効能ができるのではないかという期待感もあった。研究が進むにつれて1920年代には紫外線にてビタミンを得られると言われるようになり、ブームにもなった。

第2章「「人工太陽」のテクノロジー」
日焼けサロンに行くと、ある種カプセルような「日焼けマシーン」が存在する。このマシーンには紫外線を肌へ照射するためのものである。実際に日焼けマシーンの概念は形は違えど、1920年代後半から存在していた。現在のような日焼けマシーンではなく、本章のタイトルにある「人工太陽」なるものがあっという。なぜつくられたのかは第1章の通りであるが、どのように使うのか、またそれがどのように発展したのかも取り上げている。おそらく「人工太陽」は「日焼けマシーン」の原型の一つとも言える。

第3章「紫外線が映し出す世相」
同じ時代に「海水浴」について触れられている。今年は新型コロナウイルスの影響に伴い、多くの地域で海開きが行われなかったが、海水浴とは行かないまでも海辺で日光浴をする人もちらほら見かける。そしてその紫外線は人種の言説はもちろんのこと、戦争に向けての翼賛にも使われるようになった。

第4章「戦後における紫外線」
戦後になって科学的な研究が進むにつれ、徐々に紫外線は「悪」の存在になった。その要因としては皮膚癌をはじめ、皮膚に対して悪い効果をもたらすことがわかったためである。それでもなお日焼けサロンができるなどの、紫外線に対しての好意的なイメージもあるため、全部が全部悪になったかというと、そうではない。

紫外線に対する考え方は、当時の科学技術はもちろんのこと、研究の精度も時代と共に変化していたことから、変わっていくことは明らかである。しかしながら研究がすすめて行くにつれて見方が変わる中で、今もなお紫外線に対して日焼けなど、好意的にもたれている人も少なからずいるため、科学的な研究と言うよりも「社会」に目を向けて考察を行っている本書は画期的と言えよう。