脳波の発見―ハンス・ベルガーの夢

ハンス・ベルガー(以下:ベルガー)はドイツの精神科医でありつつ、神経科学者であった。ベルガーは脳による情報の通信を始めて確認し、これを「脳波」と定義した人物でもある。その発見までの生涯と、脳波にまつわる論争があったとされているのだが、どのような道を辿っていったのか、本書ではその生涯を取り上げている。

1.「祖父リュッカート」

本章に出てくる「リュッカート」とは、ドイツの詩人であり、東洋学者でもあったフリードリッヒ・リュッカート(リュッケルト)であり、特に詩人としての評価は高く、グスタフ・マーラー「亡き子をしのぶ歌」の元となった詩はリュッカートによって書かれた。その祖父にベルガーは大きな影響を受けた。

2.「布石」

元々ベルガーは神経科学や精神医学に志したわけでなく、むしろ天文学を志していた。子どもの頃にあった「事件」があった。詳細は「8.」にて詳しく取り上げるが、その経験から神経科学や精神医学にシフトすることとなった。大学で博士号を取得した後に、研究室に助手として研究をスタートしたが、その時から脳血流にまつわる研究を進めていった。

3.「非侵襲脳活動計測と脳波」

脳活動を計測していくうちに、「脳波」なるものを見出してきた。どのような計測を行っていたのかというと本章で紹介している「非侵襲脳活動計測(非侵襲的脳機能研究法・ひしんしゅうてきのうきのうけんきゅうほう)」が挙げられ、

脳に傷を付けるなどの不可逆的な変化を与えずに(非侵襲的に)脳活動を計測し,用いた刺激や課題の特性と計測された脳活動の時空間パターンから,脳の特定部位の機能や精神活動との対応を研究する方法「コトバンク」より

とある。よくある脳波の検査もこの方法で用いられることが一般的である。

4.「結実」

元々ベルガー以外にも脳波を発見した研究者がおり、本章でその人々を取り上げている。しかしながら、脳波の記録をしたのだが、実際に研究したのはヒトではなく、他の動物によって行われていたため、実際にヒトの脳波を発見したのがベルガーとなる。

5.「逡巡」

ベルガーは初めてヒトからの脳波の検出に成功したのだが、いつでも記録できるようになったかというと、それまでに時間がかかったという。もっともベルガー自身も本当に脳波が発見でき、再現できることに疑問を持ったのである。

6.「孤立」

ベルガーは脳波に関しての研究の論文を発表したのだが、批判と言うよりも、むしろ誰も信用されず、なおかつ注目すらされなかった。いわゆる「無視」と呼ばれる状態である。「無視」に苛まれた中でベルガーは孤立状態に陥った。

7.「光明」

脳波に関する研究論文を次々と発表していったのだが、それでもなお注目されなかった。その中でもエイガー・エルドリアンが着目され始めたことから光明を見出し、世界的に注目を集めるようになった。

8.「秘密の波―テレパシーへの傾倒」

そもそもなぜ脳波を見出そうとしたのか、きっかけはある「事件」にあった。ドイツ軍に入隊したときに乗っていた馬が堤防に落ち、騎砲の車輪に轢き殺されそうになるという出来事だった。一名をとりとめたのだが、一度も電報をしたことのなかった家族、しかもその事件の報告すらしなかった家族から安否を問う電報が届いたことに驚いたことがきっかけだったという。

9.「憂愁」

ベルガーはノーベル賞の候補にも挙がったのだが、最終的には受賞できなかった。元々研究するための設備が整えられなかったこと、さらに脳波の研究による競争が生まれたことにあった。さらに不幸なことに、第二次世界大戦やドイツにおけるナチズムの妨害により、思うような研究ができず、1941年、首吊り自殺で亡くなった。

ヒトの脳波を人類で初めて発見したベルガーであったが、発見前後から不遇な人生を歩んでいった。しかしそのベルガーの功績はエイガー・エルドリアンにて「ベルガー・リズム」と称して功績を残している。今となっては脳波は研究の中でごく当たり前にある存在なのだが、ヒトで初めて発見したベルガーの存在を忘れてはならない。

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