江戸東京野菜の物語

日本の食糧自給率は38%(カロリーベース、2019年現在)で、そのうち東京における食糧自給率は長年1%と全都道府県中最下位である。そもそも東京には農業を行っているかという疑いの目もあるのだが、東京西部をはじめ、本書では江戸野菜、東京野菜を復興させるための動きもある。その動きはどのようにして変化していったのか、本書ではそのことについて取り上げている。

第1章「失われた野菜を探して―発見の物語」

実は江戸東京にはそこで採れる野菜が「あった」。その「あった」という過去形になっているのがミソで、人口増加や都市化に伴い、野菜がドンドンと失われていったのだという。その失われた野菜を取り戻すために、かつてどのような野菜が作られていたのか、製法はどうだったのか、その発見の物語を取り上げている。

第2章「日本を旅した野菜」

日本には様々なブランドの野菜があり、産地によっても異なる。しかしながら、かつて東京で生産されていたものが、派生して、多くの地域で新種が生まれ、旅しているような野菜も存在する。その野菜はどのようなものなのかを取り上げている。

第3章「江戸と今をつなぐ」

元々江戸時代における江戸は「将軍のお膝元」と呼ばれていた。そのため江戸野菜の中には将軍がルーツとなっている野菜も存在しており、五代将軍の徳川綱吉では「練馬ダイコン」、八代将軍徳川吉宗となると「ごせき晩生小松菜」などが存在する。

第4章「大都会で生まれた野菜」

江戸から東京に変わり、明治から大東亜戦争が終わるまでの間で生まれた野菜も存在する。本章ではその時代に生まれ、今もなお生産し続けている野菜を取り上げている。

第5章「学校の畑でよみがえる」

最後は学校授業の一環で野菜をよみがえらせて、育てている野菜も存在しているが、どのような野菜があるのかも併せて取り上げている。中には東京都庁の近くにある学校でも野菜を育てていることも紹介している。

東京というと野菜や農業とは縁遠いように見えて、実は所々で野菜を生産しており、なおかつ東京野菜のブランドも持っているものもある。もしかしたら東京の八百屋の中には東京産の野菜が売られているのかもしれない。東京野菜の価値は1000万人以上いる東京都民に愛されているのかもしれない。