ベルルスコーニの時代――崩れゆくイタリア政治

シルヴィオ・ベルルスコーニは首相として就任・辞任を繰り返したのだが、長きにわたって首相として政治の中枢にいた。首相もとい政治家になる以前は建設業やメディアの経営により巨万の富を得た存在であり、そこから政治家として転身した人物である。イタリアの政治を長らくになってきた一方で汚職疑惑やスキャンダルが絶えない政治家でもあり、なおかつ政界引退・復帰を繰り返し、今年2度目の国政復帰を果たした。そのベルルスコーニの時代においてイタリアの政治はどのような変化をもたらしたのか、本書はそのことについて取り上げている。

第1章「実業界の覇者」

イタリア・ミラノで生まれたベルルスコーニは、ごく中流の家庭で生まれたのだが、特に父親には商才があったと言われている。第二次世界大戦を経て大学まで進学するが、在学中に建設会社で働き、卒業後には実業家として独立するまでに至った。建設業でも人口増に助けられ、飛躍的な成長を遂げた。そしてメディア業も進出し、こちらも成功を収めるようになった。

第2章「闇を支配する」

メディア業の成功により、「イタリアのメディア王」と言う名をほしいままにしたのだが、一方で疑惑も取り沙汰された。マフィアとのマネーロンダリングや1970年代における大金融事件となった「シンドーナ事件」との関わり、秘密結社との関わりもあったのだという。

第3章「政治の覇者へ」

建設やメディアの覇者を担ってきたが、政界に進出したのは1990年代のことである。イタリアの政治は特に1992年にはイタリアにおける政治腐敗の極みを露見した1年だった。俗に「タンジェントポリ」と言われ、政権における汚職が次々とメディアによって明らかになり、3000人(そのうち国会議員は400人)摘発されたという大規模なものだった。このときに政治的な危機が生まれ、政界再編が行われるようになった。このときにベルルスコーニ自身も新政党「フォルツァ・イタリア」結成し、自らも1994年にイタリア首相に就任した。しかし党内の対立もあり、1年も経たないうちに崩壊することとなった。

第4章「長い過渡期――模索するイタリア」

崩壊後も総選挙などで首相返り咲きを狙うも失敗を喫してしまったが、政治システムを熟知し始めた2001年に首相へ返り咲きを果たした。その後5年間に及ぶ長期政権をつくり、政治基盤を安定化させた。その2001年に返り咲く前と長期政権崩壊となったきっかけが、ロマーノ・ブローディと「オリーブの木」と呼ばれる政党だった。その変遷も本章にて取り上げている。

第5章「ポップなカリスマ――長期政権」

ベルルスコーニの首相は4回あり、通算で約8年にも及ぶ。イタリアの政治自体がよくある日本の首相のように1年ないし、2年の短期政権が続くことが多く。通算だけで8年は長期の分類に入る。長期政権の中で特に移民に対しての強硬的な姿勢を持ったことが特徴としてあった。途中で野党に敗れ政権から離れたことがあったのだが、2008年に4度目の首相に就任した。しかしながら長期政権を担っていた中で冒頭でも述べたように汚職やスキャンダルが露見され、起訴されると、退陣を自ら表明し、政界から引退することとなった。しかし議員として活躍する一方で疑惑に対して起訴され、なおかつ公職追放処分までくだされ、政治に参加できなくなることもあったが、昨年解除され、三たび政界に復帰している。

ベルルスコーニは「良くも悪くも」イタリア政治の中でも大きなインパクトを残した。ただ「良くも」と言う意味ではどのようなことをやったのかと言うと、政界再編に大きく貢献したこと、移民について強硬的な姿勢を取ったところしかない様な印象であり、「悪くも」という意味で強い。ベルルスコーニ以後のイタリアの政治はどちらかというと印象が薄く、メディアでもあまり情報が入ってこないといったものである。それだけ「イタリア政治=ベルルスコーニ」と言う構図があまりに印象的だったことは間違いない。