本書のタイトルが魅力的であり、なおかつ私も「その通り」と答えたくなる。その理由としては私自身が「書評家」となったのも、書評家としてこれからも続けていくきっかけも「人」との出会いによってであり、近年は離れているものの、人との縁が続いている所があり、今もなお続けられているのも「人」の縁のおかげもある。
人脈術でもいくつか書いたのだが、人は「ダイヤモンド」のようであると行ったことがある。これはダイアモンドの原石を磨き、輝きを見せるためにはダイヤモンドで磨かないといけない。それは人も同じように人との出会いなどによって人は磨かれるという意味から定義したのだが、本書はまさに人間としての形成もまた「人」であることを示している。心の病にかかるも、克服し、自ら精神科医になった思い出を綴りながら示しているのが本書である。
第1章「「患者の家族」としての子供時代」
実は「心の病」について3種類の体験をしている。本章では「家族」が心の病になるという、いわゆる「患者の家族」としての体験。第2章では自らが心の病となった「患者」としての体験。第3章では心の病を治す「精神科医」としての体験がある。
ここでは母親が心の病になったときのことであるのだが、著者がまだ幼かったときのことであり、親戚との関わりや、愛犬、そして中学の時の同級生との関わりを綴っている。
第2章「自分が「患者」になった時」
人との関わりは人を形成づけるのだが、それは「良くも悪くも」と言う言葉がどうしてもつく。「良くも」は心の病から解放する、あるいは良い方向へと向くことができるという意味合いで言えるのだが、「悪くも」は、むしろ心の病にかかってしまう引き金にもなりかねない。本章では、家族の「変化」にりょい、孤独となり、友だちにも恵まれず、自らが心の病になったエピソードを取り上げている。冒頭から心の病のことを自ら綴られているのだが、正直に言うと、心の病の中でも「末期」と呼ばれるほどのような状況だった。そこから様々な人との出会いによって立ち直っていった。
第3章「「医師」として生きると決めた時」
心の病を克服し、そして医師として道を選んだのもまた人との出会いだった。自ら心の病を負った人ととして、同じような病にかかった人をどのように直していくか、そして結婚なども含めて取り上げている。
人自身、さらには心の変化も含めて関わるのは「人」である。その人との関わりがどのように変わったかによってその人自身の心境も含めた変化が表れる。著者は悪い変化も良い変化も人によってもたらされ、そして自分自身を変わるためには「人」であった事を知り、それを精神科医という仕事を通じて説いている。
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