小さなパン屋が社会を変えるー世界にはばたくパンの缶詰

非常食の中で「パンの缶詰」なるものはいくつも存在する。かつては「乾パン」が主であったのだが、最近ではラスクもあれば、保存できるソフトパンなども存在しており、「パンの缶詰」は非常時の備蓄用として用いられており、親しまれている。

その大きなきっかけとなったのはちょうど25年前に起こった「阪神・淡路大震災」である。この震災では防災意識の広がりを見せていたのだが、防災にまつわる非常食の変化が起こりだした。本書で紹介する、パン・アキモトでは、現在ある乾パンとは異なる、「パンの缶詰」を日本で初めてつくった所である。現在では当たり前にあるパンの缶詰はなぜ生まれ、世界中に広がっていったのか、その変化を取り上げている。

第1章「助けになりたい―パンの缶詰誕生秘話」

元々「パン・アキモト」はよくあるパンメーカーであり、美味しいパンを提供していた。阪神・淡路大震災の時に復興支援のために、できたてのパンを大量に送ったのだが、当時の被災地はそれどころでなく、パンは食べられず、劣化してしまい、支援もむなしく廃棄処分となってしまった。当時は備蓄用のやわらかいパンがなく、固すぎる乾パンくらいしかなかった。このことが大きなきっかけとなり備蓄用に使うことができるやわらかいパンの開発を行った。

第2章「缶詰が売れない!―大きな視点で考える」

試行錯誤の結果「パンの缶詰」が初めて生まれた。1996年のことであった。しかし当初は全く注目されず、売れなかった。メディアにも売り込もうとしたものの、説得力が弱いと指摘された。そこで防災の日に絡めたマーケティング手法を取り、軌道に乗り始めた。

第3章「缶詰が捨てられる―救缶鳥プロジェクト発進」

防災意識が高まり、なおかつ災害があったこと、さらには宇宙食として名を馳せるようになり、だんだんとパンのが売れたのだが、大きな壁が立ちはだかる。それは「缶詰が捨てられる」と言うものである。なぜかというと、備蓄とはいえど、賞味期限が存在しており、災害が起こらず、使われず、賞味期限が切れてしまい。食べられずに廃棄してしまうようなことが起こったのだという。それを回避し、救うために立ち上がったのが「救缶鳥プロジェクト」だった。

第4章「被災地や海外へ―ピンチを乗り越える」

そしてパンの缶詰は日本のみならず、海外の災害の被災の支援を行った。しかしながらパンの缶詰にしても、「救缶鳥プロジェクト」にしても、あくまで「ビジネス」である。収益を得なければ、支援を続けること自体できず、なおかつ会社も立ちゆかなくなる。東日本大震災の支援前後に、仙台の経営者が体調を崩して、引き継がなければならない自体と鳴、なおかつパンの缶詰にまつわるクレームが発端だった。大きな損害を起こしてしまい、信頼もガタ落ちしてしまった。経営的にも危機に瀕したが乗り越えることができた。

第5章「人と人をつなぐ―救缶鳥をめぐる取り組み」

救缶鳥のプロジェクトは学校はもちろんのこと、地域や企業、さらには日本から海外まで幅広い「縁」によってつながれている。それぞれの取り組みはどうなっているのか、そのことについて取り上げている。

第6章「世界とつながる―夢をかなえていく仕事」

第4章・第5章でも書いたように、日本を超えて海外でパンの缶詰を販売するだけでなく、救缶鳥プロジェクトとしての支援も行っている。本章ではベトナムへ進出したエピソード、そしてアメリカ進出への狙いについて取り上げている。

昨今は災害が頻繁に起こるようになり、非常食も活況である。その中で「パンの缶詰」もスーパーなどに行くと当たり前のように売られているのだが、阪神・淡路大震災をきっかけに、つくられ、そしてそれが試行錯誤を繰り返しながら世界に羽ばたいていったことがよくわかる一冊である。

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