現代スポーツ批評ースポーツの「あたりまえ」を問い直す

スポーツは今も昔もあるのだが、現代のスポーツでは競技の数だけの「基準」が存在する。その基準自体は細かい部分で年々変わってくる事は良くある話であるのだが、スポーツに関わる中には参加そのものに意味を見出すこと、競技を全うすることに意味を見出すこと、あるいは勝利をすることに意味を見出すことなど、意見は様々である。元々現代における「スポーツ批評」の現場もまた論者によって意見が分かれる。本書はそのスポーツ批評や文化、そして競技スポーツそのものの経緯も含め、現代スポーツそのものについて考察を行ったのが本書である。

第一章「競技スポーツを考える」

新型コロナウイルスの影響により、本来2020年に行われるはずだった東京オリンピックだが、現時点で1年延期の予定であるが、状況によっては中止の可能性もあるため予断を許さない。もともとオリンピックもそうであるのだが、世界大会を含めたありとあらゆる大会において競う。その競う先にある勝敗はどこにあるのか、そして大会の参加にはどのような意義があるのかを考えている。

特に勝敗についてはトラックやロード競技はタイムによって競われ、なおかつここ最近では写真・ビデオなどの科学的な判定があるため、よりフェアかつシビアに判定される。一方でフィギュアスケートなどでは技術的な完成度はもちろん、「表現」といった面があり、各国の審査員が審査するというものである。自国面などえり好みもあるため、競技によっては最高点・最低点をカットして点数化するという所も存在する。

第二章「スポーツ文化を考える」

スポーツそのものがイベントとして取り上げられることも少なくない。オリンピックもあれば、世界大会を連日放映するようなこともある。ここ最近では動画のライブ中継で放映されるところも少なからず存在する。さらに中には季節の風物詩として毎年放送され、高視聴率になるものも存在する。ある種の「文化」としてメディアでも取り上げられているが、そもそも文化としてスポーツはどうあるべきなのか、メディアや国際協力、さらにはツーリズムの観点から考察を行っている。

第三章「歴史・思想からスポーツを考える」

スポーツにも「歴史」は存在する。歴史的な観点からスポーツはどのような使いを受けているのか。例えば日本で言う所の大相撲のように、神事として扱ったり、国技として扱ったりすると言うのもあれば、スポーツの中に潜む「体罰」の事がある。歴史的な変遷と、伝統、そして体質などを含めて、これまでとこれからのスポーツの在り方を考えている。

スポーツを行うにも難しい時期と言えるが、昨今のプロスポーツは万全なウイルス対策を行った上で、試行錯誤を重ねながら再スタートを遂げている。スポーツの世界は大きく変わっている。だからでこそ、批評する立場もまた歴史や状況と同じく変わる必要がある。それは観ている観客の側も同じ事が言える。