「パン屋」というと、日本全国にあり、特に専門店だと、様々な個性を持っているように思える。しかし本書で紹介するパン屋はあることで「世界に一軒だけ」を達成している。それはパンの原料の小麦粉が「全て」国産であるところにある。もっと言うと原料全てが地元産のもので、完全な「地産地消」を行っているパン屋であることが「世界に一軒だけ」という地域を築き、年商でも10億円にものぼる人気のパン屋になっている。そのパン屋は親子三代で築いたのだが、その道は平坦なものではなかった。
1章「シニフィアンシニフィエの証言」
そのパン屋の名は「満寿屋(ますや)商店」。北海道の帯広市を基軸に、北海道、さらには東京にまで進出した。場所は東京の自由が丘、パン専門店が軒を連ねる激戦区だったのだが、瞬く間に人気を得ることとなった。
2章「十勝へ」
十勝地方は道東の一部になるのだが、どちらかというと内陸にもほど近い部分があり、場所によっては本章でも紹介したとおり氷点下20度を下回ることもある。十勝は農業や畜産も盛んであり、なおかつ小麦の生産でも有名である。その農業や畜産が盛んになった経緯は戦後間もない時にあった。
3章「終戦と開店」
「満寿屋」ができたのは1950年の1月の時である。理由としては小豆や生乳、さらには小麦も生産されていたこと、また地元の農家たちはパンを積極的に購入していた事をきっかけとして回転し、繁盛したという。
4章「ハルユタカ」
「小麦」は「世界三大穀物」の一つとして挙げられ、なおかつ世界でもっとも生産量の多い穀物として挙げられる。日本でも生産はしているのだが、それ以上に消費がはるかに多く、アメリカなどの国から輸入に依存することが多い。本章のタイトルである「ハルユタカ」は、北海道で生まれたブランド小麦の一種である。満寿屋でつくられるパンの原料の小麦としても使われた。
5章「アタマを貸してくれ」
その「ハルユタカ」の品質を安定するためにはどうしたら良いか、農家に限らず、関係各所の理解を得る必要があった。その奮闘を取り上げている。
6章「世界に一軒」
当時は1992年、バブル崩壊を迎えた後の時である。このときから小売店などの異業種がパンの販売をし始め、特に大量かつ安価につくられ、もはや当たり前のようにコンビニやスーパーなどでも売られるようになった。このときに「世界に一軒」という「オンリーワン」のパン屋をどのようにして目指したのか、そのことについて取り上げている。
7章「完成の日」
本章で言うところの「完成」は4章・5章にて取り上げた「ハルユタカ」の小麦でパンをつくるというものである。試行錯誤の末、完成した。しかし、その試行錯誤の最中悲劇を襲った。2代目の社長、そしてその父である創業者(初代社長)が相次いでこの世を去った。その悲しみを乗り越えての完成である。
8章「主人の遺言です」
二代目社長の妻が新しく社長になってから、次々と店を展開していった。その店の展開自体も主人である二代目社長の遺志の一つであったという。
9章「パンを食べない人々」
食の傾向は時代によって変わってくる。ここ最近では「糖質」を忌避する人も出てきており、炭水化物を避けようとする人も少なくない。またパンにしてもスーパーやコンビニでつくられるパンにすら寄りつかなくなるような人も出てきたという。
10章「国産小麦と海外産」
国産小麦は生産されているとは言え、外国産には到底及ばず、なおかつ安価で輸入できる外国産小麦に頼るという企業も多くある。しかし国産小麦、しかも地元・十勝産の小麦にこだわった。
11章「二〇三〇年の夢」
満寿屋商店は今年創業70周年を迎えた。その10年後にあたる、2030年までに何を行うか、そのロードマップを紐解いている。
十勝で生まれた地産地消のパン屋は地元の原料にこだわり、十勝どころか東京にまで進出し、さらにはオンラインショップまででき、全国津々浦々で買い求めることができるようになった。そのため全国的な人気を持っている。そして地産地消を目指した挑戦はこれからも続く。
コメント