安楽死・尊厳死の現在-最終段階の医療と自己決定

本書は「安楽死」と「尊厳死」について取り上げているが、実は2つとも同じように見えて、意味合いが全く異なる。「安楽死」は、

助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること。「広辞苑 第七版」より

とあり、一方の「尊厳死」は、

一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること。近代医学の延命技術などが、死に臨む人の人間性を無視しがちであることへの反省から生まれた概念。「広辞苑 第七版」より

とある。日本では法律上安楽死と尊厳死について明確な違いがあるのだが、こちらは第5章にて言及する。本書は安楽死の合法化、あるいは容認を行った国、さらには介助自殺と尊厳死をもとに、「死」とどう向き合うかについて取り上げている。

第1章「安楽死合法化による実施――世界初のオランダの試み」

安楽死を合法化しているのは2001年にオランダ、2002年にベルギー、2008年にルクセンブルクと行われている。その中で本章では2001年に世界で初めて法律として安楽死を合法化したオランダの動きについて取り上げている。もともと安楽死自体はオランダにて1970年頃にあり、「安楽死事件」として続発していた。その中で安楽死合法化の是非についての議論が盛んに行われ、2001年に合法化に至ったという。

第2章「容認した国家と州――医師と本人による実施」

国や地域によって安楽死を容認した事例はいくつも存在する。第1章でも取り上げた国の中でも国家として合法化するにあたって、元首の反対や憲法改正などによる導入まであること、さらには倫理・宗教的な観点から根強い反対があったといった事例なども存在している

第3章「介助自殺を認めた国家と州――医師による手助けとは」

日本では介助自殺は「嘱託殺人罪」や「自殺ほう助」といった犯罪に当たる。有名な事例としては2018年にあった評論家の西部邁の自殺事件がある。元々は本人の希望だったのだが、その自殺を助けた人物が自殺幇助で逮捕されたと言うものがある。

日本では法律で罰せられるだが、海外に目を向けてみるとアメリカ・オレゴン州やスイスでは容認しているという。

第4章「最終段階の医療とは――誰が治療中止は決めるのか」

日本では尊厳死を認める法律はないのだが、末期癌など、治療の見込みがないときに、延命治療・蘇生措置を止めることを希望するなどをして自ら死を選ぶというような事を行う。こちらも「尊厳死」の一つと言われているのだが、その日本における「尊厳死」の在り方自体が独特であると指摘している。海外と比較してなぜ「独特」なのかを取り上げている。

第5章「安楽死と自殺の思想史――人類は自死をどう考えてきたか」

日本に限らず、世界でも「自殺=悪」という図式が成り立っている。元々は古代ギリシャや古代ローマの時代において自殺に関して議論はなされていた。その時は肯定的に動いていたのだが、キリスト教の出現により、自殺は否定的な表現となった。それからというもの、多くの哲学・倫理学を始め多岐にわたる学問において自殺の賛否についての議論がなされるようになった。そもそも自殺もとい安楽死は権利にあるのかについてはまだ、学問的な議論は絶えない。

尊厳死にしても、安楽死についても、人間としての「死ぬ」権利はあるのかという議論に行き着く。中にはその議論自体をタブー視している論者もおり、糸口が見えないのが現状である。ただ、21世紀になって安楽死が合法化され、延命措置を拒否するなど、自ら死を選ぶという選択肢ができただけでも時代としては動いていると言える。

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