元々「時間」という概念が生まれたのはいつ頃なのかは誰にもわからない。人類が生まれた時なのか、それとも地球そのものが生まれた時なのか、あるいは宇宙が誕生したときなのか、論者によって考えは異なる。
また、哲学とは異なるものの、「時間」に関する考え方は「技術」の進歩と共に変わっていったとも言える。ではどのような変化があったのか、本書では技術、物語などのカント年から取り上げている。
第一章「鮮明な過去はつねに改変され、郷愁は消える」
インターネットは本当の意味で「恩恵」をもたらした。と同時に、時間に対する概念の変化も生み出した。特に技術の進化によって記憶にしても、趣味にしても、そして「プラットフォーム」の概念にしても大きく変わるようになった。
第二章「過去は「物語」をつくってきた」
人間は「忘れる」生き物である。記憶自体も「忘却曲線」のごとく、覚えていったものを、順番に「忘れて行く」。その忘れて行くなかで、よくある話として「過去を美化する」と言うのがある。これは良い記憶しか残らないことによって、良いものであったという物語が醸成されていったことにある。
第三章「「因果の物語」から「機械の物語」へ」
技術は進化し、過去の技術における産物は廃れていく定めである、と言いたいところだが、このところ、レコードやカセットテープがある種骨董品の如く、人気を呼び、ある種のリバイバルブームを起こすようにまでなった。またファミコンやメガドライブなどの家庭用ゲーム機もかつては流行の最先端だったのだが、それもまた今となっては、懐かしいものとして定着している部分もある。技術革新というよりも、機器そのものの物語が作られていくが、それは技術革新と、技術「懐古」という部分も含まれている。
第四章「「自由」という未来の終焉」
最近では「IoT(もののインターネット化)」が盛んに行われており、そのことによって、自動的にコントロールすることができるが、その反面「自動化」をすることによって、自分自身で行う「自由」を失われていったという側面がある。本章ではその側面をしてきている。
第五章「摩擦・空間・遍在のテクノロジー」
「摩擦」と言っても季節柄の「乾布摩擦」ではない。人と人との関わり、人とのものの関わりなどで生まれる「摩擦」を定義している。さらには最近ではVR/ARなどの空間テクノロジーの進化にも目を見張るものがある。
第六章「新しい人間哲学の時代に」
技術の進化は人間哲学にどのような影響を及ぼすのか、物語、時間、機械、生死などありとあらゆる面から取り上げている。
哲学は不変と主張する論者もいれば、時代と共に変わる論者もいる。今の技術革新は哲学にどのような影響を及ぼしたのか。著者はどちらかというとテクノロジーを中心としたジャーナリストだが、その著者が哲学の面から斬り込んだのも珍しい。
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