「検閲」と言うと、表現の自由を規制する中でもっともネガティブな存在である。というのは元々日本国憲法にある「表現の自由」に違反していることにある。とはいえ本書はあくまで戦前、日本国憲法が生まれる以前の「大日本帝国憲法」が定められていた時代に遡る。大日本帝国憲法においては言論の自由は担保されているのだが、「法律の範囲内」とされている。これは表現の自由に関する法律による規制の範囲内で許されると言うことを決めており、現に、検閲などの法律が定められることにより、規制される事になっていった。ではどのような検閲がかけられていったのか、時代背景と共に取り上げている。
第一部「検閲の動揺」
いくら「自由」があるとは言えど、何をやっても自由というわけではない。日本でも民法の90条に規定されている「公序良俗」があり、それに触れることは許されない。ただし現代でもこの「公序良俗」の解釈による議論が絶えない現実もある。
もっとも戦前にもエロ・グロ・ナンセンスと呼ばれるものはあった。さらにはそれらが発禁処分になったり、落語などでも「禁演」として演じられなくなったりするような事もあった。
第二部「広がる検閲網」
時代は戦争へと進み行く中で、検閲もさらに強くなってきた。特に占いにしても、小説にしても、戦争を引き立たせられるようなものも全て検閲の対象となり、規制されることとなった。また良く有名なものとしては野球の世界でも、とりわけ戦時中は「アウト」や「ヒット」といったものが「だめ」「生打」といった表現になったほどである。
第三部「戦争と検閲」
日中戦争、大東亜戦争になってくるにつれ、規制・検閲の幅は広がりを見せてきた。石原莞爾の「世界最終戦論」もまた、検閲の対象となり、発禁処分となったほどである。書物はもちろん、ポスターなどの掲載についてだけでなく、国民の一挙手一投足全てが検閲の対象となり、規制された。
今となっては日本国憲法における自由が担保されるため、公序良俗に反しない限りは許されている。しかしかつては「戦争」という異常事態の中で、情報統制が敷かれることがあり、国家を批判するものはことごとく検閲がかかり、発禁処分になるケースもあった。そもそもなぜ検閲がかけられ、実際にどのような事があったのか、その事実を知る格好の一冊である。
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