伝える人、永六輔 『大往生』の日々

永六輔はマルチな才能を発揮した人物である。特に作詞家として、ラジオパーソナリティとしての知名度もあれば、1994年に「大往生」を上梓し、200万部を超える大ベストセラーにまで登り詰め、エッセイストとしても名を馳せた。マルチな才能を持つ一方で、「徹子の部屋」にも幾度となく出演し、好奇心旺盛な側面も覗かせた。その永六輔の生涯については1994年の大往生が上梓された以降の足跡を追っている。

Ⅰ.「ベストセラー誕生とその後~強烈な個性と向かい合う日々」

「大往生」ができるまでのプロセス、そして上梓されてからの「事件」そして続編である「二度目の大往生」が上梓されるまでのプロセスを取り上げている。読まれた方はわかると思うのだが、永自身が様々な場所にて見聞きした言葉のうち、老いや病、そして死についての言葉を取り上げている。瞬く間に人気を呼び、テレビドラマにまでなったほどである。

Ⅱ.「知恵の言葉を編む~紙上バラエティのつくられ方」

実は永六輔は、「大往生」以前にも「名語録」シリーズを始め、数多くのエッセイを発表している。もちろん「大往生」以降も「職人」「芸人」などの本も上梓しているのだが、その上梓をするまでに永六輔と著者にてどのようなやりとりがあったのかを詳細に取り上げている。Ⅰ.でも取り上げた「事件」についてだが、大往生が出た直後にあるTV番組に出演したが、番組のタイトルなどに激怒し、退場する出来事であった。本章ではそのほかにも著者自身も永から「一喝」をもらってしまったことがあるのだが、その顛末も取り上げている。

Ⅲ.「六輔ワールド第二幕~新しいステージへ発展」

元々著者は永六輔の「専属編集者」という扱いであった。著者は編集部におり、大往生などの編集を行ったのだが、会社の人事異動により、編集部以外の部署に移ることになるも、永六輔の編集だけは、著者だけが行うという異例の扱いだったという。そのため編集部にはいないのだが、永六輔の著書だけは編集を行うというものであるため「専属編集者」という扱いだったという。

「職人」「商人(あきんど)」以降の「夫と妻」「親と子」などができるまでのプロセスを取り上げているが、編集よりも、むしろサイン会や講演会のエピソードが中心となる。特にサイン会は永六輔自身が様々な場所での旅を行った知己の広さを垣間見た瞬間も取り上げている。

Ⅳ.「「旅暮らし」と「ラジオ」の人~永さんのメッセージをたどる」

「老い」は必ずくるものである。様々な本を上梓し、その度に新たな企画を生み出すかと思いきや、2010年にパーキンソン病にかかったことを公表した。しかしながら、病を抱えながらも変わらずに明るく振る舞われた姿、そして逝去する前の最後に会ったときのエピソード、そして逝去後の心境について取り上げている。

永六輔の側面の中で岩波書店の編集者としての側面を覗かせていた。そこにはラジオや著書、さらには他のメディアでは明かすことのなかった永六輔の姿がここにあった。