情熱のアフリカ大陸

新型コロナウイルスの影響により、一時期消毒用のアルコールが不足した。現在では緩和されたのだが、消毒用アルコール不足を始めマスクや消毒用のハンドソープもなくなるなど、物資面での混乱が一時期見られたことは今も記憶に残る。しかし第三波・第四波が来るときにまた再び起こるかどうかといった所も気に掛かる。

ウイルス感染による影響は物資などにも影響はあるのだが、感染は感染でも、本書は2009年に起こった新型インフルエンザウイルスによるパンデミックについてウガンダで行われたプロジェクトを取り上げている。

第1章「初めての視察で目にした現実」

毎年10月15日は「世界手洗いの日」と定められている。この日が設けられたのは今から12年前の2008年のことである。この翌年に新型インフルエンザが世界中で流行し始めた。2009年の10月15日、石鹸や消毒液などを生産・販売するメーカーであるサラヤが新型インフルエンザに苦しむウガンダへ手洗い普及を支援するプロジェクトがスタートした。

実際にウガンダでは乳幼児が10人に1人感染症にかかり、亡くなるという厳しい現実があった。

第2章「ウガンダの衛生環境向上を目指して」

サラヤのホームページにも記載されているのだが、「サラヤ」は1952年に創業した。その時は赤痢が流行している状況だったが、それを撲滅するために「パールパーム石けん液」を開発・販売したことから始まる。また時代と共に、エコにも挑戦し、さらには感染症対策を行っていく中で次々と新しい商品を生み出していった。また国際貢献にも乗り出すようになり、本書で紹介するウガンダの衛生環境向上のプロジェクトを行ったのもそのためである。

第3章「わずか3人で始まった「サラヤ イースト アフリカ」の奮闘」

いざ2011年にスタートをしようとするも、ここで大きな壁に当たることとなった。それは「東日本大震災」。海外へ行くどころでは無く、日程変更も迫られ、なおかつ周囲の協力も得られなくなるといった事態にも見舞われた。結局現地でのプロジェクトはわずか3人から始まった。ウガンダで子会社をつくり、そこから感染症撲滅に向けた動きを行うようになった。

第4章「混沌の地で始まったゼロからのチャレンジ」

元々サラヤでは「SARAYA 100万人の手洗いプロジェクト」をユニセフにて行っている。その活動のことと、ウガンダにおけるプロジェクトのチャレンジと意義について取り上げている。

第5章「日本とアフリカ、それぞれの地での葛藤」

啓蒙活動を行うにもお金が必要で、なおかつ一定の収益も上げることが必要である。「企業」であることから、利益を生み出さないと貢献もできず、なおかつ続けることもままならない。その利益をどう生み出すべきか、そして啓蒙をどのように広めていくべきか、その葛藤が日本でもウガンダでもあったのだという。

第6章「「手指消毒」のことが「サラヤ」と呼ばれた日」

紆余曲折を経て、ウガンダの感染症は激減した。もっともウガンダでも消毒液の普及が行われたのだが、その手指消毒の品々が通称「サラヤ」とも呼ばれるようになったのだという。そのエピソードを取り上げている。

今となっては手洗い・消毒における国際貢献の先頭に立っていると言っても過言ではない。また新型コロナウイルスにより、消毒液・ハンドソープ・石鹸などかつて無い需要が出ている中だが、感染症撲滅と健康に向けたサラヤのチャレンジはこれからも続く。

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