マックス・ウェーバー-近代と格闘した思想家

社会学、資本主義、政治思想など、ありとあらゆる学問にて「合理性」を始め、画期的な学説を発表し、なおかつ「職業としての学問」や「職業としての政治」など多くの著書を上梓してきたマックス・ヴェーバー(マックス・ウェーバー)が没してからちょうど100年である。

このウェーバーの思想は大東亜戦争後の日本でも丸山眞男を始め、多くの社会学者に影響を及ぼしたことは言うまでもない。このマックス・ウェーバーの生涯について追っているのだが、今回と明日の2回に分けて、異なる学者が同時期に評伝として発売している。その2冊を比較しながら取り上げていく。

第一章「政治家の父とユグノーの家系の母―ファミリーヒストリー」

本章に入る前に本書の著者は前首相である安倍晋三の母校である成蹊大学の教授であり、マックス・ウェーバー研究を中心としている方である。他にも冒頭で取り上げた「仕事としての学問」などウェーバーの著書の翻訳としても有名である。

元々マックス・ウェーバーは父の名前をそのまま引き継いでいる。その父はドイツの政治家であり、ビスマルク派であったのだという。また母はユグノーの家系の末裔でプロテスタントだった。もっともこの夫婦の結婚に至るまでのプロセスも複雑であり、その複雑さがウェーバーの思想の根本をつくらせたとしている。

第二章「修学時代―法学とパラサイト」

ウェーバーは大学入学前にギムナジウム(日本で言うところの中学や高校)で学び始めた1872年、ウェーバーが8歳の時からである。それから10年学び1882年にハイデルベルク大学に入学し法学を学ぶようになった。ギムナジウムの時代にゲーテを読破する、君主論や多数の哲学書を読むなどに時間を充てるなど、早くから教養を身につけていったが、勉学に励んでいたわけではなく、酒と喧嘩に明け暮れた日々もあり、母に平手打ちを食らったこともあった。

第三章「自己分析としてのプロテスタンティズム研究―病気と方法論と資本主義」

人間は働く生き物であるのだが、働き過ぎてしまうと心身共に滅入ってしまい、病を抱えることもある。ウェーバーは学位を経て、1年間の軍隊生活を経て、博士号を取得、教授にまで登り詰めた。プライベートでもマリアンネと結婚するなど充実していたが、オーバーワーク、さらには母を巡っての父との確執と急死といったことにより、心身のバランスを崩し、休職することとなった。この休職の最中でも論文を作成しており、ウェーバーの思想体系の変化を表し、なおかつよく知られる思想の根本を形成付けていった。

第四章「戦争と革命―暴力装置とプロパガンダと「官僚の独裁」」

時代は第一次世界大戦になっていくにつれ、ロシア革命といった革命にまつわること、そして戦争を通してあった、国家としての「暴力装置」の思想を形成付けて、発表した。

第五章「世界宗教を比較する―音楽社会学とオリエンタリズム」

比較宗教社会学と言う学問を切り拓いたのウェーバーの功績の一つとされている。世界における宗教というと、仏教やキリスト教、さらにはイスラム教やヒンドゥー教、儒教や道教などが挙げられるのだが、なぜ世界宗教の比較を行ったのか、そのきっかけを取り上げている。

第六章「反動の予言―ウェーバーとナチズム」

第一次世界大戦後のドイツからミュンヘンが急進化した所で、ウェーバーはこれからの同一議会、そして国家はどうなっていくのかを予言した。その予言は後のドイツ労働者党、後のナチ党がつくられることを予見していた。しかしウェーバーはその答え合わせを見ることなく、1920年、世界的に流行したスペイン風邪でこの世を去った。56歳だった。

ウェーバーの生涯とともに思想体系を追ってきたのだが、本書では主に少年~青年期における思想形成の礎となりつつ、青年期と戦争・革命における合理性・官僚制といった所にフォーカスを当てている。