AIの進化は著しく、よくSF作品に出てくるような人間とロボットとの大戦(ジハード)が行われるのではないか、というような事が起こるのではないかという、あたかも妄言のような主張まである。技術と宗教、共通性がないように見えて、AIの技術の進化は止まらず、宗教や政治の部分にまで及ぶかもしれないとあるのが本書の話としてある。本書はAIを神と見なすのか、そして宗教にある「神」を信じるのか、さらにAIを通して国の在り方はどうなっていくのかを追っている。
第1章「神としてのAI」
まさかAIがニーチェが主張した「神は死んだ」を繰り返し述べるのかと思ってしまう。言うまでもなくAIは「人工知能」と訳されるのだが、「知能」であるがゆえに、新しい考え方や概念を持ち、人間の思考を覆すと言うようなことさえもある。そのことからAIが「神」となるといった荒唐無稽な主張まである。
第2章「世界に広がるイスラム教」
イスラム教は他の宗教と比べて宗教人口が伸びている。度合いとしては全ての宗教ではトップである。要因としてはアフリカや中東アジアの人口増もあるのだが、他にもヨーロッパのイスラム化についても著者は指摘している。
第3章「無宗教者の「服従」」
日本人でも「無宗教者」なるものもおり、海外でも「無神論者」なるものも存在している。特に宗教に関して無宗教や無神論であることを踏まえて、宗教に関して皮肉や風刺を行い、事件にまで発展する事例も存在する。今から5年前に起こった「シャルリー・エブド襲撃事件」もその一つである。これは世界各地のテロ事件を非難する風刺を取り上げたのだが、実はこの風刺がイスラム教の創始者であるムハンマドを風刺したことにより、イスラム教過激派が襲撃、殺害した事件である。その事件がきっかけにより表現の自由におけるデモ活動はもちろんのこと、放送・表現の自由の範囲について議論されるようになった。
第4章「デジタル毛沢東主義」
中国でもインターネットが普及しており、中国独自の動画や、チャット通信などのツールも出てきている。しかしながら、中国では情報統制が厳しくあり、なおかつ電脳監視なども行われているという。
第5章「「自由」からの逃走」
「自由主義」と言う言葉がある。これは政治哲学において資本主義や個人主義といった政治体制を表している。また自由というと、ありとあらゆる所からの解放という意味を持つのだが、その解放を嫌がり、宗教を求める傾向があるのだという。
第6章「新たなる帝国の時代」
「帝政」を敷く国はごくわずかである。天皇制・王制を敷く国はあるが、多くの国は「共和国」など首班や議会を中心とした国として構成されている。国の在り方はどうなっていくのか、そのことについて取り上げている。
宗教と国家の在り方自体は、両方の概念ができてからずっと続いており、議論もされている。「政教分離」といった宗教と政治するといった概念もあるのだが、全部が全部できているわけではない。またこれからAIといった技術・概念が生まれる中で宗教や国家はどう変わっていくのかは議論としても難しいものである。その議論に一石を投じたのが本書と言える。
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