哲学しててもいいですか?―文系学部不要論へのささやかな反論

大学にまつわる議論の中で「文系不要論」と言ったことをよく聞く。文学部や哲学部などを不要とする議論であり、2014年の文科省の「国立大学法人評価委員会」の中で出てきたことである。この議論が出てきてから賛否両論が相次いだ。もちろん否定的な意見も多く、かくいう私も文系、もしくは文系学部が不要というのはいささか暴論過ぎると考える。

本書もその議論についての反論的な一冊というようなサブタイトルを名しているが、実際は哲学にまつわる議論を行っていく中で、哲学とは何か、そして大学における哲学の研究はどのように行われるのか、そのことについても取り上げている。

第1章「思へば遠く来たもんだ」

本章ではとある教員(教授?)の過去と現在を取り上げながら、人文系学部の内情を明らかにしている。もっとも大学内ではどのような状況に置かれながら、なおかつ大学組織としての立ち位置がよくわかる。

第2章「「悟り」と「臆病な自尊心」の文化」

著者が感じる学生、そして若者たちはどのような印象なのかを挙げつつ、その方々に対しては今こそ「哲学」が必要なのではないかという主張をしている。ここ最近の書店ではビジネスにおいて「哲学」を取り入れる、あるいはライフスタイルの中でどのように哲学を使うかと言うような実践的な議論を行った本が本屋に行くとけっこう存在する。

第3章「大学のなかの大学」

よくある大学の歴史としては12世紀~13世紀頃のあたりからあったとされている。判明している者ではイタリアのボローニャ大学やフランスのパリ大学がある。当時の大学は法学や神学といったものがあった。その「法学」「神学」は根源を辿っていくと「哲学」に帰することもできる。

ただ「大学」に限らない高等教育機関は紀元前からあり、そこでは哲学も行われていた。哲学と大学は切っても切れない関係の歴史を辿っていったと考えられる。これまでは研究者を育成する役割を担っていたのだが、ここ最近ではいち社会人として、もしくはいち市民としての育成に変化をしているという動きもある。

第4章「箱の外で思考する」

著者が言うには、

哲学は浮世離れp.111より

しているという。人によってはそのような考えを持つのはおかしくない。ただ哲学そのものは人間として生きる中で何が必要なのかを知り、考える事のできる学問として存在する。浮世離れしていて、とっつきにくい部分もあるのだが、スルメのように噛めば噛むほど味が出るごとく、学べば学ぶほど自分、そして森羅万象をさらに知りたくなるようになり、哲学の奥深さが出てくるのではないかと考える。

第5章「哲学の始め方」

哲学を学ぶ、あるいは研究するためにはどうしたらよいのか、そして哲学を研究することの意義とはいったい何なのか、その手ほどきについて伝授している。

文系にしても、理系にしても不要なものはない。もっとも哲学という学問そのものも進化しており、なおかつそれが人間として生きる中で重要な部分を知ることができ、よくある書店のようにビジネスや人生の上での重要な根幹を見出してくれる。それは哲学にしても文学など文系の学問に共通するものである。