家族や会社など、様々な場で「紛争」は起こる。特に会社にまつわる紛争はある種の「泥沼」になることも少なくなく、なおかつ会社どころか日本中を騒がせることも会社の規模によっては行われることもある。
本書は寺院にまつわる後継者の戦いの所であるのだが、寺檀の世界でも起こっているという、寺檀そのものの存続もあるのだが、存続をするための争いもあり、その現場に関わってきた中でどのような一部始終だったのかを振り返りつつ、寺檀の今後について取り上げている。
第1章「私が寺の内紛と関わるようになった理由」
なぜ著者が寺檀紛争に関わるようになったのか、そもそも著者自身の人生と、寺檀との関わりから述べていく必要がある。本書の著者は眼科医である一方で、岩手県盛岡市にある本誓寺の門徒でもある。本誓寺の縁は著者の家族の時、母親の時から関わりがあった。その母親が逝去したときの葬儀にて内紛を知ることとなった。本誓寺の内紛は兄弟間の骨肉の争いとなり、裁判にまで発展したのだという。その内紛は門徒たちに暗い影を落とすことになった。その争いから正常化するための動きも行われており、著者自身も引き継ぐこととなった。
第2章「住職後継者をめぐる争いは、なぜ起きたのか」
そもそも後継者争いが起こる前から家族の中でも確執があったという。もっとも確執の原因自体には寺檀の世界ならではの原因もあり、「世間」とは大いに異なる部分があったほどである。最初は結婚を巡っての争いがあったのだが、そこから地位の主張についての争い、そして後継争いである。
第3章「今この時代において、信仰とはどうあるべきなのか」
そもそも寺檀についてはだんだんと廃れてきており、寺そのものがなくなってしまうといった事もある。その中で宗教的な「信仰」も薄らいで言っているのが現状である。元々宗教が栄えるのは「貧(貧困)」「病(病気)」「争(戦争)」の3つの要素が1つ以上該当した場合に起こる。新型コロナウイルスも「病」の一つであるのだが、実際には栄えているかというと、そうではないのが現状である。その中で「信仰」はどうしたらよいか、著者が自身が事務局長を務めている団体のアンケートをもとにして明かしている。
第4章「世襲制がもたらしかねない、資質なき住職の誕生」
会社の世界でもあるのだが、特に寺檀の世界ではごく当たり前にあるのが「世襲」である。特にトップの座にいるのが、親子、あるいは兄弟のなかで引き継がれるというものであるのだが、特に寺檀の世界では家族が世襲として引き継ぐ際の問題点について指摘している。その問題点の中には「骨肉の争い」と言ったものも存在する。
第5章「現代の寺院にとって、門徒の権利はどうあるべきなのか」
しかし寺檀に関する争いは骨肉の争いだけではなかった。実は「住職」と「門弟」の確執もあったという。この確執自体が骨肉の争い以上に長く続いており、なおかつ裁判にまで発展している。しかもこの争いは現在もなお続いている。
「世間」と言う言葉は、どこにでも通じるかというと決してそうではない。自分自身が正しいと思うことでも他の世界では間違っていることもあれば、ある世界ではごく当たり前に行っていることが実は違反であり、裁判にまで発展していることがある。本書で紹介されている岩手県盛岡市の本誓寺は寺院の中でも裕福であるのだが、裕福であるが故のいざこざも起こっていると言うことを初めて知ることとなった。
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